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週刊牛乳屋新聞#61(日本人の人権意識)

こんにちは、牛乳屋です。

最近、知人と世界の人権意識について話しました。米国や西欧の話が中心だったのですが、話を通して、日本って集団主義だけど個人行動の国だと思いました。

集団を重んじるという前提のもと、個人の行動は個人で判断しろということであって、一人ひとりの人権や意思が重要視されていないような感じがあります。かつての大戦もそうですし、イラク日本人人質事件もそうだと思っています。

藤原彰 著『餓死した英霊たち』や吉田裕 著『日本軍兵士』によると、第二次大戦で命を落とした日本兵の約80%が戦病死であり、負傷兵は自死を迫られた記録があります。イラク日本人人質事件も、誘拐した犯人側が自衛隊の撤退を求めた際に「戦場に足を踏み入れた人が悪く、自己責任だ」との声が世論の大半を占めました。

日本という全体(集団主義)を助けるために、個々の生命を犠牲にする。全体にとって「迷惑」であれば、個々の生命が犠牲にされることもやむを得ない、なぜなら個人の行動が引き起こした問題だから。目先のことにケチで未来に対して人に投資するとか、人の生命や資産に対する思いが薄かった。これは、日本という全体が抱えている伝統なのでしょう。

中国で生活している時に、いわゆるBATH(百度、アリババ、テンセント、ファーウェイ)と呼ばれる企業の人と交流したことがあるのですが、彼ら・彼女らは個人主義で集団行動だということです。個々人の生き方が大事だから、仕事を辞めたい時に辞めるし、繁忙期でも好きなときに休む。しかし、会社としての方向性は明確で、収益を上げるために個々、集団の中でどう行動するかは明確にされていて、個々の行動のデータや顧客データもしっかり吸い上げて、どうやって集団で合理的に戦うか考えています。だからといって、BATH系が素晴らしいというわけではないです。

世界の人たちの生き方や価値観が多様化して、消費者が細分化されていくなかで、日本の場合、集団主義の意思決定者は依然として昭和のおっさんです。彼らの大半が海外に行っても行かなくても、世界のトレンドも見れていないし、ズレまくっています。昭和の価値観で動き続ける限り、集団主義X個人行動、という掛け算は止まらないでしょう。そうなると個人の行動も忖度が専らになってきます。こうなってくると、運動体としての慣性の法則は非常に強く、谷底に落ちるか崖にぶつかるかしか止まらないでしょう。

集団主義だけど個人行動の伝統を断ち切ることが、日本人の人権意識の底上げに繋がることであり、日本社会が少し良くなるキッカケになると思っています。日本社会が全体的に個人主義になることはあまりイメージがつかめないので、集団行動から始めるのが良いのかもしれません。

華村さんの日記の「ノウハウ継承おろそか問題」を見ていて、普段の職場や学校でのさりげない言動から日本の悪い文化を何とかできるのではないかと思うに至りました。

・営業活動が属人的だから、情報を共有して同僚が良い成果を出せるようにしよう
・失敗体験を共有することで、周囲が良い成果を出せるようにしよう


「分ければ余る」の精神で繋がる人の輪を大きくしていくことで、集団主義だけど個人行動の風潮が少しでも変わり、日本人の人権意識に変化が起きるのではないか・・・と信じています。

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