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週刊牛乳屋新聞#93(上海から見た3.11と人の繋がり)

こんにちは、牛乳屋です。


2011年3月11日、私は友人より携帯のショートメッセージやQQでたくさん連絡を貰っていました。「日本で大きな地震があった」「家族は大丈夫か?」

日本では地震が頻繁に起きるし、授業中ということもあってPCを開かずにそのまま授業に集中し、授業後に図書館へ向かいました。あまりにも多くの連絡が来るので、家に帰りテレビを付けると、信じがたい光景が広がっていました。津波で流されて焼け野原のようになった大地、公共交通機関がマヒして混乱した東京の街角、通信が正常に作動しないため公衆電話に並ぶ人々。

何故だか分かりませんが、中国の報道がちょくちょく出してくる航空自衛隊の戦闘機が印象に残っています。

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任さん(仮)が渡してくれた100元札

2010年9月7日に尖閣諸島中国漁船衝突事件が起きて、日中関係は国交正常化以降最悪と言われるほど冷え込んでいました。この事件を機に、世論の対日感情が悪化し、日本関連のイベントがほぼ全て中止に追い込まれました。

日中関係の転換点となる事件から半年後に東日本大震災が発生し、「支援しよう」という雰囲気を出しにくい時期でした。校内では日本人学生会が有志で募金活動を行っていたようですが、あまり印象に残っていませんでした。(読者の方で活動に従事していた方がいたら申し訳ないです💦)

クラスメートから「何か力になりたいけど何していいか分からない。これを渡すから日本人の牛乳屋がどうにかしてほしい」とポケットから100元札を渡してきました。

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河南省の田舎出身の任さん(仮)にとって、当時の100元は小さくない額です。任さんの想いと100元を受け取りつつも、寄付した先が怪しい団体だと嫌なので、帰国後にボランティア活動をする際の経費にすると伝えました。

埋もれる任さんの想い

任さんは日本語を勉強していたわけでもなく、日本にもゆかりがなく、ただただ津波の傷跡で苦しむ様子を見て、「何か力になりたい」との想いを私に託してくれました。しかし、こういった個人の声がかき消されるのが世の常識なのかもしれません。

未曽有の大災害を目前にしても、中国のネットでは「天罰だ」との声が目立っていました。また、最も気になったのは台湾と比較した中国への圧倒的な信頼感の無さでした。親日的な台湾は日本に寄り添ってくれるのに対して、中国は・・・といったネット世論や「有識者」の声が印象に残っています。

あいつは親日で、こいつは反日でと言われている中でも、心の奥底から湧き出る気持ちを示してくれた任さんの想いを忘れないようにしたいですし、同じようなことを考えているけれど行動に移せないような人の存在に思いを寄せたいと感じました。




すいません、今週はパッと閃いて文章を書けないのでオチがさえませんが、ここまでにします。拙文を読んで下さり、いつも感謝しています!

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