週刊牛乳屋新聞#66(僕が見てきた新疆①副流煙まみれの無座車)
「ヤバい遅れる!!」
中国の古都である西安駅で通行人を押しのけて、駆け足で電車のホームに向った。なんとか間に合い、午前0時前の電車に飛び乗った。今では考えられないが、2011年は身分証番号が無くても鉄道に乗れる時代だった。新疆ウイグル自治区の中心であるウルムチに行くために電車が出る直前まで駅前でダフ屋を探していた。なんとか見つかったダフ屋との激しい値段交渉の末、席無し切符(无座)を買って、念願の新疆行きが決まった。僕に用意された場所は無いので、ドア付近に新聞紙を広げ売店で売っていた椅子に腰を掛ける。ここから約50時間の長旅が始まる。新疆への期待と、出稼ぎ労働者だらけでザワついた周囲、そして冷房のない車両への不安が入り混じる中、ドアは閉まり、鉄の車輪はゆっくりと動き出した。
中国の鉄道は支払う金額でストレス度合いが変わる。これは小中学で学んだ数学の公式と同じくらい正しい真理だと言えよう。僕は最安チケットだったため、ストレスを最大限引き受けることになる。ヒマワリの種を食べ散らかしたり、目の前でタバコを吸い始めたり、痰を散らしたりとやりたい放題の雰囲気であった。こんなので神経をすり減らしてはいけないと思い、僕も負けずとミカンの皮をそこら中に捨て、中南海をスパスパすって車内に投げ捨てる。車内は埃っぽく、目の前にいたオヤジのタバコの副流煙が苦しくて、痰を吐こうとしたところ、
「いけね、僕も彼らと同じことやってる」
と自分に言い聞かせ、痰を吐くのをやめて礼儀正しい日本人であろうと自分を律しようとした。
どこかの駅で一時停車した時に撮った
中南海が無くなった。あと30時間近くもたばこの煙と食べかすに囲まれた地べたで過ごさなければいけないと考えると気が遠くなりそうだ。どうしようかと思った時、誰かがどこかで捨てたであろうカップラーメンの汁が僕の足元に流れてきた。タラーーーーッ
「僕はなぜこんなに虐げられているのだろうか?」と思い、僕はMP3プレーヤーを聞きながら日本語の歌を歌い出した。また、西安のホステルで出会った日本人バックパッカーから貰ったグミを食べながら周囲を気にせず歌い出した。僕は発狂したことを歌うことでごまかそうとした。もちろん、グミの袋は地べたへポイ。
「オマエ、韓国人か?」と周囲のオヤジたちに言われ、会話が生まれた。
「ああそうだ、韓国出身だ!」と答え、オヤジたちから追加のタバコとヒマワリの種を貰う。
もうどうにでもなれ!とりあえず、オヤジたちに倍にして副流煙と種のカスをくれてやる!!!とヤケクソになって、列車のドア付近を汚しまくった。
礼儀正しい日本人として振る舞おうと思っていた自分がだもはや自分が何人だろうがどうでも良くなるくらいヤケクソになっていた。ウルムチまであと二十数時間・・・
どこかの荒野で見た朝焼け
(続く)
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