週刊牛乳屋新聞#74(人に迷惑をかけない人生はクソ)
おはようございます、牛乳屋です。普段は中国のことをたくさん書いていますが、ちょっと違うことを書いていこうと思います。
先日、友人の家に行きました。友人夫婦の子どもは2歳で、すごく活発な性格です。たまに会うと「大きくなったな」「可愛いな」と思いますが、毎日一緒にいると猛獣かもしれないと思いました笑。
子どもを見ていて思うのが、迷惑をかけながら、間違いをしながら新しいことを覚えて実践していきます。代表的なのが言語ですね。
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時が経つにつれ、「相手に迷惑をかけてはいけない」ということが骨の髄まで刻み込まれます。学校生活、部活動、学習塾、大学の学生団体、会社・・・と多くの場所に所属することで、人に迷惑をかけて生きることに憚れる感情が芽生えてきます。
言葉だけを見るなら「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは正しいように見えます。迷惑をかけるよりも、かけない方が少なくとも社会的には良いことのように思いますよね。
ただ、この言葉の致命的な欠陥は、迷惑の基準が人によって異なる点です。茶碗を持って食事している光景が迷惑、音を立ててラーメンや蕎麦を食べている光景が迷惑、使用済みトイレットペーパーを流さずゴミ箱に入れるのが迷惑・・・。迷惑は人や場所によって異なるので、基準を定めることが難しいのです。
また、迷惑という言葉の最大の問題は、迷惑かどうかを気にしすぎると、他人の迷惑が許せなくなることです。
自分の基準で迷惑をかけないように考えることはできますが、「相手にとってこれは迷惑かな?」と考え始めると人によって基準が違うので何も出来なくなってしまいます。
また、「自分はこんなに迷惑をかけないように気にして(我慢して)いるのに、なんであいつはこんなに無神経なんだ!」と考えるようになっていくと、相手の存在を許せなくなります。迷惑を突き止めていくのはあまりにも不毛です。
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子どもは自分の成長のために周囲に迷惑をかけていきます、そこに他者への視点はありません。それならば、迷惑をかけながらも周囲に対して良い結果を作っていこうとするのが迷惑をかける大人の流儀ではないのでしょうか。
マイナスのことを自然にしてしまっても、それ以上のプラスを得ようとするのであれば、トントンどころか大きなお釣りが返ってくるかもしれません。実際にトータルでプラスになればどんな人でも迷惑をかけても許してくれることでしょう。成長が全ての傷を癒すのです。
僕も起業家の端くれとして、将来の大きな利益のために周囲に迷惑をかけ続けていると常に感じています。時間、労力、金銭、食品・・・と多くのモノを頂いている自覚があり、多くの人の知恵にどっぷり頼っています。
遠慮しながら閉塞感を感じて生きるよりも、迷惑をかけながらも周囲が刺激を感じてくれるような生き方のほうが社会にとって良さそうですよね!そうやって今日も前向きに人に迷惑をかけ続けていこうと思います!