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牛乳屋新聞#101中国を発信するということ

お久しぶりです。牛乳屋です。
最近お会いした方と話す中で感じたことをどうしても発信したくなり、noteを書こうと思います。

僕は、Twitter(今はX)で中国について日常的に書くのをやめました。

なんか理由があったというわけではありません。投稿するほど中国ネタ仕入れているわけでもなく、中国生活をやめた自分が中国に対して何か熱い思いを持っているわけではないことに気付きました。

当時、Xで見かけた「今日の隔離飯」「コロナ禍では〜」という投稿にたくさんのエンゲージメント(いいねやコメント)が集まっている様子を見てると、駐在中の寂しさを紛らわす道具としてTwitterを使っている時の自分を思い出すような感じがして、勝手に嫌気を感じていたのもありました。

また、Xがインプレッションで収益化できるようになったり、バッジの有無がエンゲージメントに結びつくようになったりする機能変更を経て、以前のような気軽な日々の「つぶやき」を楽しむ場では、もう完全になくなってしまったという一種の寂しさがありました。

Xから距離ができても、大して困ることがなかったので、ログインする時間も大幅に減りました。

そんな中、2つの出来事から少しでもいいから発信を続けようと決意するに至りました。

1つ目が周囲の「不理解」です。
昨年秋に取引先を連れて中国に行ったり、今年は社員を連れて中国に行くことを計画しています。取引先からは「中国都市部の治安ってどうですか!?夜出歩けますか?」と聞かれたり、社員からは広東省に行くのに「万里の長城に行きたい」「本場の麻婆豆腐食べたい」と言われたりしました。彼らには一切悪気がなく、少しググれば何となく分かることをググりさえせずに発言するのです。メディアのせいではなく、SNSに溢れる自分好みの情報を消費することで何でも知った気になってしまう現代の空気感が影響していると感じました。

2つ目はフォロワーさんとの出会いです。
最近、僕を長年別アカでフォローしていた方とお会いする機会がありました。「あの時の発信していた牛乳屋さんに憧れていたんです」「たまに出てくる中国ネタに新しい視点を貰える」と言われ、正直嬉しい気持ちになりました。中国に住んでいなくても、誰かの心に響くことってあるんだと実感しました。

自分が快適だと思う外の領域について、的外れでも、間違っていても、見当違いでも、何でもいいので関心を持って発信していくことで、その熱意が誰かの心を動かすかもしれない。

中国での生活は、大変なこともありましたが、確実に自分の人生を変えた貴重な経験になっていますし、大きな糧です。

自分と同じでなくてもいいから、誰かの糧になるようなきっかけを作るのが僕の責務だと感じました。

牛乳屋さん、再始動します。

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パンダ(a.k.a 元牛乳屋)
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