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メルカリが運んできたもの。
あれは確か、2018年。
私はすべてに疲弊していた。
そこにいきなりの地震が起こった。
2018年、9月6日03時07分。
私は夜勤中だった。
未婚で出産した娘と二人暮らし。
当時娘は高校生で、いつもはしない試験勉強をこの日に限って行っていたらしい。
私は医療従事者として働いており、生活費を稼ぐために夜勤をしている最中だった。
母子手当ももらえず、養育費もなし。
娘との二人暮らしで、私立高校に通う娘にもお金がかかっていて、これからのお金をどうしたらいいものか・・・と日々悩んでいた。
そこに、真夜中の大きな地震。
大きな揺れとともに電気が一旦消えた。
街の中は信号機さえ停電した。
あの数日、信号さえも停電した北海道の夜空は、無数の星たちで彩られたらしい。
のちに、この地震は、「平成30年北海道胆振東部地震」と定められた。
信号機も、地下鉄も止まってしまったので、私は夜勤明けに2、3時間かけて娘の待つ家路についた。
娘に対し、一人にしてしまって申し訳なかったという思いの中歩いていると、とあるパンの卸?のお店を見つけた。
地震による影響なのか、スーパーでは購入できないような分厚い食パンを格安で売っていた。
当時本当にお金がなかったけれど、娘には苦労や心配をかけたくなかった私は、必死にお金がないことを娘に隠していた。
できるだけ新鮮で美味しいものをお腹いっぱい食べてもらいたい。
私は、偶然見つけたその店で、たしか食パンを2枚(2斤ではない。厚めの食パン2枚)を購入し、娘の喜ぶ顔を想像しながら、残りの道を歩いた。
当時は、生活費の一部を「メルカリ」を駆使して補っていた。
今もそうだけど。
ちょうど、この地震の起こる前日くらいだったのだろうか。
私は、メルカリでとある本を購入していた。
当時の私の唯一の楽しみだったと思う。
読書。
本は高価だ。
図書館で借りられない本もある。
だから、メルカリでよく本を購入し、読み終わったら売っていた。
このときは、ドミ二ックローホーの「シンプルに生きる」を購入して、到着待ちだった。
普段の生活の余裕のなさから、この本を購入したのだと思う。
私の生活を、少しでも豊かにしたかったのだろう。
そういえば、昭和一桁うまれのばあちゃんが昔よく言っていた言葉がある。
「どんなにお金がなくても、子どもに本だけは買っていた」
そんなばあちゃんの影響で、どんなにお金がなくても、私は本を読みたかったし、読んでいた。
到着を待っている間に、大地震が発生した。
地震のあとにその本は我が家へやってきた。
この本の到着の少し前だった。
取引をしていた、本の売り主から取引メッセージが届いた。
そのメッセージには、次のようなことが書いてあった。
「お住いは北海道のようですが、地震の影響は大丈夫でしたか?地震の影響で商品の到着が遅れるかもしれません。大変なときでしょうから、商品のお代はいりません。どうぞ本を受け取ってください。」
涙が溢れてきた。
私のことを一ミリも知らない、お互いに性別も年齢もわからない、メルカリの取引相手。
発送した相手が北海道に住んでいることだけを知り、私のことを心配してくれて、本のお金までいらないというのだ。
「優しい」では表現しきれない「ぬくもり」「他者への無償の愛」のようなものを感じた。
値段は数百円だったと思うが、いくらだっかは関係ない。
メルカリで私に届いたものは
相手を思う気持ちだった。
商品はもちろん、見えない「ぬくもり」「おもいやり」が届いた。
当時の私は、お金がないことと、仕事と将来と娘のことなどいろんなことを考えて本当にいっぱいいっぱいになっていた。
相談する人もおらず、仲の良い友達もいない(と思っていた)。
一人で全てを抱え込み、辛い状況で起こった地震。
娘を一人にしてしまったことへの罪悪感から低下した、親としての自身。
それでも私を何かが生かしているのを感じた。
帰宅難民となり長時間歩いた帰り道の激安パン屋さん。
商品のお金を要らないと言ってくれて心配もしてくれた、メルカリの取引相手。
なによりも、そんなことが起こっても、笑顔で私に話しかけてくる娘。
全てが私を生かしてくれていた。
世の中を見渡すと、マーケティング戦略だったり、行動経済学だったり、なにかと人の弱みにつけこむかのような方法で溢れている。
仕事は誰かのためではなく、結局は自分の儲けのためであり、
世の中のためではなく、自分の暮らしのためであり、
そんな社会に吐き気すら覚えることもある。
だけど、そうじゃないこともたくさんある。
悲しいところだけを見ていたら、悲しい世界を作り上げてしまう。
そうじゃない部分を感じたとき、自分が生かされているという真実を知る。
あのとき、メルカリで本を買ったから
私はこんなにも大切なことを知ることができたんだ。
メルカリを通じて受け取ったのは、見えない気持ち。
見えないものがこんなにも大切で
形のないものがこんなにも心を震わせるということ。
不用品を交換するのではなく、生かし生かされている社会自体を形成しているのがメルカリなんだろうなと
今も思う。
不用品なんてない。
不要な人なんていない。
そのときに大切にしたいものが違うだけなんだ。
そして、本当に大切なものには形はなくても伝わっていくんだ。