「沖縄のピカソ小波津有希」歩み🌻有希3歳で有希のお父さんは、生きたくても生きる事で出来ませんでした。恩師書道家知念正先生、首里城の瓦復元した水墨画家の奥原崇典先生の生前遺言で6歳〜28歳「沖縄のピカソ小波津有希」知的所有権受理🧐世界迄飛躍しました。有希誕生した時の動画を「琉球の空へ羽ばたけ天使君!」で3人は映像を紹介しました。有希の浮き出る墨絵、ペンキアートは、幸運を呼ぶダウン症画家として呼ばれています。㊗️💖🌻🔮🙏🏽
有希誕生した時から、皆んなの運命を変えて来ました。有希のダウン症重度の息子をサポートした専門家の出会いも凄い事でした。最強の道案内人にも出会いました。親子不器用でも、しっかりサポートしていました。22年の経歴は、書道家知念先生、水墨画家の奥原先生の出会いが、世界迄誘導されていました。有希6歳の時に書道家知念先生が、「この子に描かせてご覧」と言わなかったら今は無かったです。有希9歳の時に沖縄のテレビで水墨画家の奥原先生が「有希は、40年間会った事無い全部タッチが違う画家の認定の言葉を説明しました。」恩師二人は、今でも天国から応援しています。有希のお父さんも有希に力を与えています。私の目に見えない世界、右上からお告げ、カラーの動画、メッセージを毎日、軽く目を閉じた時、寝た時でも開運の道案内の予告を先に教えるので、行動毎日スグヤル継続の習慣でした。アメリカに住んでいる義妹光子、ジェフリーとも繋がっています。義妹は、霊感有り千里眼で、私に勘を与える役割でした。最初は、有希の墨絵も全然分からない私に解説して、理解出来た時は、嬉しかつたです。勘を取って一気「天使くん応援団、天使の羽見つけたよ、わが息子小波津有希13歳、沖縄のピカソと呼ばれた小波津有希、21年の軌跡」4冊の本は、国立図書館で登録していました。有希の為に業界の方々の道案内人の力も最強でした。フランス、イタリアの勲章🎖️授与も最高でした。平成最後の時に産経新聞社掲載、全国の図書館に冊子、色々な事にクリアした事も有希の世界迄飛躍しました。業界の方々が、有希の絵画は独特の世界観があるそうです。ダウン症重度の息子有希は、声も出せない、意思表示も出来ない、寝る事も自分の意思では、出来ません。夜中の3時迄起きている時も有ります。私が寝かす準備をしないと寝ません。こだわりの有希が、筆持った時、ペンキアートの時は、180度変身で一気に仕上げます。私は、動画撮る役割で、有希の目力も違い幸せな有希の顔になります。カメラ目線を意識しています。私は、撮影しながら幸せ気分になります。ギャップが有りますが、有希ワールドの世界です。母子家庭でも金欠病でも、映画制作、本の自費出版、展示も最高同時に5箇所した時もありました。デリカの車に沢山の絵画の額、資料を乗せて、展示していました。有希も一緒に行った時は、無我夢中で、新聞掲載を見て幼い有希の姿に痛切に感謝でした。過去を振り返って神業の仕事だったと思いました。今やる事は、厳しと思います。28歳の息子有希は、4年外泊拒否です。有希の兄しか外泊出来ません。大人4人が、津波警報の時に今年避難出来ませんでした。危機感は、有希の兄の力が、必要だと再確認でした。有希誕生した時から有希の歩みを紹介します。浮き出る墨絵、ペンキアート、神様も助けて下さいました。有希の頑張りを紹介します。有希の応援よろしくお願い致します。母智恵美㊗️❤️❤️🌈🙏🏽🔮🌈🏆🎖️🎬🌸🇺🇸🇮🇹