「沖縄のピカソ小波津有希」ダブル有希の母㊗️智恵美🌈ダウン症重度の息子有希と絵画に挑戦する🔮奇跡の親子🌻人生エンジョイしています。㊗️🏆🌈❤️❤️
「沖縄のピカソ小波津有希」幸運を呼ぶダウン症画家㊗️有希の誕生した時の心境は、「この世の終わり」実体験は、誰にも言えない「有希にすまない気持ちでした。」医師の告知の前に週刊誌のダウン症体験のページに救われました。週刊誌には、ダウン症の説明と励ましの友人のメッセージに心から救われました。「思いっきり泣いて、上を見上げた時にこの子の為にしなさい。」このメッセージで、病院を誰にも言わないで外泊して、家の中を整理整頓して、有希の為に気功、サプリメント、有希の為の心の整理をして病院に戻りました。」有希の為の訓練のダウン症の会に入会したり、琉球踊り、音楽を聴かせました。」ダウン症の親の会で「ダウン症は、ゆっくり成長する。」先輩の親の言葉にも前進する力になりました。開運の出会いは、沢山の方々に出会いで神の声、無我夢中で乗り超えて来ました。有希3歳で、夫、姑が病気で余命宣告の時に沖縄の拝み(祈祷師、沖縄のユタさん)の出会いで、沖縄の国帳簿、沖縄の糸満、那覇、浜比嘉、辺戸岬の四隅の国帳簿の拝みで「上から🖌️筆降りる。有希が、鶴の恩返しする」お告げが、有希6歳の時に書道家知念正先生の出会いで「この子に書かせてご覧」有希6歳で妹、馬の旧漢字、ひらがな、アルファベット、数字、メッセージを筆持った時だけ一気に描いた時にミラクルが起きてビックリでした。、学校では、なぞりの字も鉛筆では、ミミズ字で全然書けませんでした。有希9歳は、沖縄の首里城の瓦を復元した水墨画家の奥原崇典先生が、沖縄のテレビで「40年間会った事の無い、全部タッチが違う言葉で画家の認定しました。」専門家の出会いで墨絵、画家の道案内でした。有希のお父さん、恩師二人も他界しました。生きていた証を有希の成功させる事が、私の使命でした。世界迄飛躍成功「沖縄のピカソ小波津有希」知的所有権受理され、一気に世界迄飛躍成功しました。最後は、有希の絵画を買い取り画廊に有希の名簿記載の為に美術書籍、2冊掲載に準備しています。夢に前進しています。親子、ワクワク気分でスタートしています。応援よろしくお願い致します。不器用親子でも、チャンスに恵まれました。神様は、助けて下さいました。有難う御座います。母智恵美❤️❤️🌈🏆💖🔮🎬💓🌻😀🩷🎁🔒🏆㊗️🖌️🌸🎉🛍️