見出し画像

あるエッセイにみる「匂い」と「香り」の使い分けについての考察


多様な類義語

日本語には、意味が似た言葉「類義語」が山ほどある。普段、何気なく使っているが、いざ意味の違いを問われると「?」となり、急いでググることは日常茶飯事である。
たとえば「きれい」と「美しい」、「怒る」と「叱る」、「思う」と「想う」・・などあげればきりがない。特に、書き言葉として使うときは、どの言葉を選ぶかで読み手に伝わる意味や印象が変わってしまうおそれがあるため、気を付けなければいけない。

『山とあめ玉と絵具箱』(川原真由美)に見る「匂い」と「香り」

最近読んだ、川原真由美さんの『山とあめ玉と絵具箱』という本の中に、「桂の匂い」というエッセイがある。
何年も前から気になっていたという、散歩の途中で漂ってくる、ある甘い「匂い」について書かれた文章だ。この甘い匂いというのは、黄葉した「桂の葉」に含まれるマルトールという香気成分が醸し出すものであるが、この1,000字ほどの文章の中に「匂い」は12回、「香り」は7回使用されている。
読んでいて違和感はないのだが、一文の中で類義語である「匂い」と「香り」が同時に使われているのに気付いた時、あらと立ち止まった。
もう一度読み返しながら、この「匂い」と「香り」という類義語を、著者はどのように使い分けをしているのか、辞書的な意味だけでなく、著者が意図した使い分けの理由があるのではないか、そう思って、少し考えてみることにした。以下、勝手な考察である。
文脈から切り離してしまう恐れもあるが、まずは使用されている文を、流れに沿って一つ一つ書き出してみる。

「匂い」12回、「香り」7回

① ある時期だけそこを通ると、どこからともなく漂ってくる甘いぶどう酒の匂い
② あるとき走っていたら甘い匂いが漂ってきた。
③ その香りは毎年、秋のある時季にだけやってきた。
④ 近くにぶどうを加工する製造所かなにかあって、ある工程で放出される香りが風にのってやってくるのだろうか。
⑤ そこ以外でこの匂いを嗅ぐことはなかったので、そこを通らなくなってすっかり忘れていた。
⑥ ある日、公園を歩いていたら、またあの懐かしい匂いがどこからかふわっとやってきた。
⑦ ひさしぶりに嗅ぐあの甘い香り
⑧ ある一箇所に立ったときしかそのよい香りはせず、数歩離れると消えてしまう。
匂いのもとを探したけれど、分からなかった。
⑩ 散策をしていた年配の女性が(中略)「これこれ、綿菓子みたいな匂い。桂の葉」と言うのが聞こえた。
⑪ 鼻に近づけて嗅いでみると、まさしくあの匂いだった。
匂いが強いものとほとんどしないものがあって、黄色が濃いほうが甘い香りがした。
⑬ 長いあいだ謎だった匂いのもとは、黄葉した桂の葉だった。
⑭ 私にとっては綿菓子ではなく、ぶどう酒の香り
⑮ いつも夕方にジョギングしていたので、この匂いを嗅ぐとお腹がすいてくる。
⑯ お醤油の香ばしい匂いと感じる人もいるようだ。
匂いのもとは、甘い香りにお似合いのかわいらしい姿をしていた。


以上である。「匂い」と「香り」はあわせて19使用されているが、一文に同時に使用されている箇所が二か所あるため、文としては17となる。
分類を試みる前に、まず辞書的な意味を確認しておこう。『日本語大辞典』(講談社)には次のように定義されている。

「におい」と「かおり」の辞書的な意味


におい 匂い
1 臭覚を刺激するもの。かおり。
2 それらしい感じ。気配。
3 日本刀の刀身の面にとぎだされる霧のようにほんのり見える模様。
4 【古語】(目に映る意が主)㋐美しいこと、つや ㋑光、威光 ㋒染め色、かさねの色目。下の方へ行くにしたがって薄くなる。ぼかし。
5 臭い、くさみ、臭気

かおり 香り
1 よいにおい。か。
2 【古語】つややかな美しさ 例:源氏物語「かおりをかしき顔ざまなり」(柏木)

こうして見ると、「におい」という大きなくくりの中に「かおり」がある。中でも「良いにおい」について「香り」と言う。また、それぞれ古語として使用されるとき、臭覚を刺激するものとしてだけでなく、視覚としての「美しさ」やその人物のもつ大きな力を示す「威光」などの意味を持つ。おおよそ、このように考えてよいだろうと思う。


すべて「におい」に変えて読んでみる


「におい」とい大きなくくりの中に「かおり」があるとするなら、このエッセイで使用される「香り」をすべて「匂い」に変えて読んでみたらどうであろうか。
結果、あまり違和感がないことが分かる。これは「匂い」という言葉が、「香り」という言葉がもつ意味をほぼ包摂しているからだろう。

しかし、あまり違和感はないとはいえ、やはり「香り」を使う方が適していると思う部分が何か所かある。この「適している」と感じる部分こそ、辞書的な意味の使い分けとは違う、著者の使い分けの理由が潜むところなのではないかと考える。

先んじて、私の考察を述べれば、その違いは「主観」と「客観」によるものである。
主観というのは「著者の直接体験、記憶、思い出」により感じられるもの。あるいは著者からみて物理的、精神的にとても「近い」ものである。
対して客観というのは、「一般的」に「そういうもの」として言い表されるもの。つまり著者の経験と離れた「遠い」ものである。
これらを踏まえて「香り」が適当であると感じた5つの「香り」について、今一度考えてみる。

においの距離

③ その香りは毎年、秋のある時季にだけやってきた。
④ 近くにぶどうを加工する製造所かなにかあって、ある工程で放出される香りが風にのってやってくるのだろうか。

この二つの文は、ある時季、ある場所に漂う、あるにおいについて書かれた文である。著者の直接体験として感じたにおいではあるが、鼻先で自ら嗅いだにおいというより、風にのってあたり一面に漂うにおいである。しかもそのにおいは決して不快なものではない。「香り」が適していると思われる。

よい香り

⑧ ある一箇所に立ったときしかそのよい香りはせず、数歩離れると消えてしまう。

ここは迷うところである。著者の経験として、「匂い」でもよいかと思うのだが、その前文を読むと、「香り」でなければいけないことがよく分かる。

ひさしぶりに嗅ぐあの甘い香り。ある一箇所に立ったときしかそのよい香りはせず、数歩離れると消えてしまう。

つまり「その」という指示代名詞で分かるように、前文の「甘い香り」そのものを指し示している部分である。

よいにおい

⑭ 私にとっては綿菓子ではなく、ぶどう酒の香り

これは、まさに「よいにおい」としての「香り」ではないだろうか。綿菓子のような甘いにおいというより、もっと高貴なぶどう酒のにおい。古語の意味に見られる「つややかさ」や「美しさ」に通じる部分でもある。
「聞香(もんこう)」という言葉がある。「香(こう)」のかおりをかいで、その香の種類や異同を判別することであるが、ここは綿菓子のにおいと比較して判別する、「聞香」にも似ている。とすれば、やはり「香り」が適していると思われる。

「匂い」と「香り」

匂いのもとは、甘い香りにお似合いのかわいらしい姿をしていた。

これは⑫同様、一文に「匂い」と「香り」が併用されている文である。
⑫はどちらも「匂い」に統一しても支障はないように思われる。あえて、著者が後半「香り」を使用したのは、黄葉の度合いによって、においの強さが違うことを強調したかったのではないかと思う。
そして⑰ であるが、「匂い」は著者が何年も前から気になっていたにおいであり、いよいよそのにおいの根源を突き止めた「匂い」である。
一方「香り」は、いわゆる「桂の葉のにおい」そのものを示している。
主観と客観、近さと遠さ。このエッセイを締めくくる最後の一文は、著者の「匂い」と「香り」の区別を、最も端的に表した箇所であると言える。

まとめ

以上、川原真由美さんのエッセイに見る、類義語「香り」と「匂い」についての考察である。言葉について深く考えることは、とても楽しいことであるが、いかに自分が言葉に鈍感になっているか、自省する行為でもある。確かな情報や実験・調査に基づく科学的根拠を述べる論文などは別として、エッセイなどの散文では、比較的自由に類義語を織り交ぜて使うことができる。もちろん適当な使い方では、読み手に混乱を生じさせ、悪文にもなりかねないので注意が必要だが、意図をもって使用されている類義語は、読んでいて想像を掻き立て、文章に彩りを増す効果があると感じた。

言葉が流れては消えていく時代だ。立ち止まり、言葉を拾い上げ、考えることを繰り返すことは、言葉のもつ奥行を知ることでもある。自らの言葉の浅さ、薄さを受け止めながら、今後も言葉について考えていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?