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【読書記録】殺人事件は起きないけれど「生」を実感する美術史ミステリー小説|「リーチ先生」原田マハ

数日前、
私は大阪の中之島美術館を訪れました。

美術館では「民藝」の展覧会が行われていました。

何か器を一つでも購入しようと思い
立ち寄ったショップで、
器と同じくらい気になったのが、
原田マハさんのこの本。

「リーチ先生」

民藝の器を手に入れるつもりが、
結局はこの本も手元に加えることになりました💦


⚱️⚱️⚱️

この本は、
殺人事件が起こるわけではないけれど、
ミステリー小説としての要素を持っています。

なぜなのかと言うと、
現実の人々とフィクションの登場人物が、
驚くべきほどに交じり合っていて、
どこまでがフィクションで、
どこからがノンフィクションなのかが、
読者には分からないから
です。

後書きを読んでから、
物語の展開や謎解きについて、
「なるほど、そういうことだったのか」と
納得の声が漏れてしまいました。

登場人物たちは、
まるで目の前に実在しているかのように感じられ、
その生活や感情が、
私の目の前で展開されているような幻覚に襲われます。

一体なぜなんだろう?

その理由は、
おそらく前回の「楽園のカンヴァス」にも登場した共通するフレーズが、
この本の核に流れているからかもしれません。

以下にそのフレーズを引用します。

『真絵は、顔を少し表紙に近づけると、思わず、という感じで言った。
「なんか・・・・生きてる、って感じ。」
その瞬間、織絵は息を止めた。』

ー楽園のカンヴァスよりー

『それを両手に包み込んで、シンシアがごく小さな声でつぶやいた。
「このジャグ・・・・まるで、生きているみたい」』

ーリーチ先生よりー

これらのフレーズにきょうつうする言葉

「生きている」

その感覚が、人に対して投げかけられた言葉ではなく、
絵画やジャグにかけれている。

いずれ、命あるものは死ぬ運命にある。

でも、私たちが死んだ後も、
世界は続いていきます。

そして絵画や器なども、あり続けます。

ただし、その維持は
何かのバランスや
加減次第で崩れることもあるかもしれません。

永遠のように感じるものでも、
実際には永遠は存在しません。

だからこそ、
私たちは、どう生きるのか?
私はどう、生きるのか?
(あれ、違う作品の名前になってきた・・・)

自己啓発の本ばかりを読む私ですが、
この本から受ける感銘や思索が、
私の中でこれほどまでに広がるとは。

とても素晴らしい読書時間となりました。

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