初音ミクもVtuberもオワコンって1度は言われてる
思えばここまで連続で書いてますね。
今日話したいのは、これまで初音ミク(ボカロ)で創作活動をしていて、気づけばVtuberに興味を持っていて、今日まで色々と見てきました。
とか興味を持つようになったんです。
やっぱキャラクタービジネスって見てて楽しいんですよね。生かすも殺すも、企画者次第。これほど楽しいものはないと思います。
ところでVtuberはオワコンって耳にした事ありません?
ちなみにボカロはオワコン。初音ミクはオワコン。これも同じ様に言われてます。定期的に。
実際オワコンにはなったと思います。
VOCALOIDが終わったのであって、初音ミクはコンテンツとして続いてると考えています。
それも今では世界中に名を響かせている存在にまで成長しました。
いつしか彼女の事をこう思う様になりました。
「札幌のミッ●ー」だと
Vtuberも今投資家達が離れ、オワコン化したのではないでしょうか。でもVtuberではなくバーチャルタレントとしてまだ生きていますよね。
引退したVtuberもいますが、それって活動終了した芸能人と同じですよね。
企業系Vtuberというのは結果として芸能事務所に所属している。という話なたけで、個人Vtuberはいわば、インディーズバンドや地下アイドルといった様な、メジャーデビューして活動してるか否かの違いだと思うんですよ。
そんなに変わらないなと。
VtuberもVOCALOID(初音ミク)も記号的に見ると、結局はキャラクターIPなんですよ。それって消費コンテンツじゃないですか。
当然いつまでもキャラクター単体では寿命なんて知れてるんですよ。
ここでキーになるのが創作活動文化。
終わらない様に見えるのは、何か違う形でのブームが始まっては、またブームの終わりが訪れる。この周期がクロスフェードして入れ替わってるからですよね。
ボカロ文化でいうと、こうだと思います。
ニコニコ動画でカバー曲歌わせてみた。
オリジナル曲歌わせてみた。
並行してイラスト描いてる人が増えた。
MV作ってみた。
ゲーム化した。
ゲーム化してから一気に知名度が上がり、創作をする人が増えた。
これが様々なジャンルやアートとして続いている。初音ミク自体は一つのテーマやコンセプトでしかない。その表現の中に初音ミクが共存している。
ボカロキャラクターの殆どがこの座を目指したが、誰一人として同じ場所に辿り着けなかった。一部は別の形で昇華することができた。
IAとか結月ゆかりがその例だと思います。