10月2日 美術の日に思う【今日のものがたり】
「おはよう、星川」
土曜日の朝、私は確認も兼ねて開館時間前に山穂図書室を覗いた。カウンターにいた、ここの管理をお願いしている星川 輝明が立ち上がった。
「おはようございます、逢坂さん」
星川は、連絡もせず突然現れた私に驚いた様子もみせず挨拶を返してくれた。ただし、そのあと会話は続かない。星川は必要以上に、いや、必要なときですら話すということを選択しない。その理由はおそらく彼が山穂へ引っ越してくる前の出来事に起因しているのだろうが、そこを無理矢理聞き出すことはしていない。話したくなったら聞く準備はできているので、私は彼が山穂に居続けてくれたら嬉しいと思っている。
ということで、私から話しかける。
「司書の仕事は順調かい」
「勤務日に図書室へ来ることはできています」
話しかけたら返してはくれるのだ。人と話したくないわけではないのだと私は思っている。そうじゃなかったら、司書という仕事はしていないだろう。
「それは順調ってことだよ。常連さんもいるみたいだし」
カウンターにバルーンでできたお花が置かれている。それを持ってきているのが常連さんだ。何度もここへ来たいと思ってもらえるのは私にとっても嬉しいことだ。図書室という空間はこれからもなくさずにありたい。
「秋の空だな」
図書室に一つだけ飾られている絵がある。星川がここへやってきたとき、初めて感情のようなものを表に出したのがこの絵を見たときだった。
「飛田さん……」
星川は名前をつぶやいた。そして、その翌日、司書の仕事を引き受けてくれた。
季節が移ろっても変わらない絵。
春になると春の空に、夏になると夏の空に、秋になると秋の空に、冬になると……いつ見てもその季節の空に見える不思議な絵だ。世界で一つしかない絵がこの図書室にある。
絵の作者は飛田 泰弘。僕の昔からの友人だ。
星川がこの図書室に、この山穂という地にいてくれる理由の一つが彼の絵であると私は確信に近い思いを抱いている。飛田が描く絵の魅力、奥深さを星川は知っている。わかっている。
いつか、飛田と星川が出会えたら。二人の未来はどうなっていくのだろう。その日を私は見届けたいと思っている。
だから、飛田。今、どこで、何をしているんだ。早く帰ってきてまた軽口をたたいてくれよ。同い年の素敵な青年が山穂にやってきてくれたんだぞ。
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