9月3日 ホームランと睡眠【今日のものがたり】
「また、あくびしてる」
「いちいち見るなよ」
「ちゃんと寝ないとホームラン打てないよ」
「……うるさいなぁ」
山穂村の憩いの場である山穂図書室。
ここでは今日も常連の白倉兄妹が静かに本を読んでいた。しかし、兄である灯馬があくびをしたことで二人のやりとりが始まった。
それを黙って見つめているのは図書室勤務の星川 輝明だ。わけあってここで働き始めた輝明であるが、白倉兄妹──とりわけ妹の灯里が積極的に彼に話しかけてきて、最初は面食らっていたが、少しずつ受け入れられるようになっていた。
とはいえ、輝明自ら進んで話しかけるということはまだできないでいる。
「てるてる先生もちゃんと寝ないとホームラン打てないですよ」
「……ホームラン?」
「ほ、星川先生、灯里の言うことは聞き流していいですから」
「えーお兄ちゃん、なんでそんなこと言うの?」
「だって先生には関係ないだろ」
「この間、キャッチボールしたじゃん」
「それは……」
灯馬は野球をしていて、先日初めて輝明は彼とキャッチボールをした。野球経験はあるが、久しくしていなかったのでうまく投げられるかわからなかったが、思ったよりもコントロールの乱れはなかった。
「お兄ちゃん、まだホームランを打ったことがなくて。寝る子は育つって言うでしょ? だから、たくさん眠ったら打てるかなって」
「それなりに寝てるし。今のあくびはたまたまだし、ホームランが打てないのは力がないだけだから」
ホームラン。睡眠。もうどちらも遠い昔にどこかへ置いてきてしまったような感覚がある。でもそれは、彼ら兄妹には関係のないことだ。輝明はそれを悟られぬよう、少し強引に口角をあげる。これで、笑っているように見えればいいのだけれど。
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