2月1日 メンマと涙と球春到来【今日のものがたり】
「塩ラーメンで大丈夫だった?」
「大丈夫です! ありがとうございます。あの、すみません。このあとプロット会議なのにがっつり系を頼んでしまって。おいくらですか」
編集部に向かっている途中で担当さんから連絡があり、食べたいものを聞かれたので、ラーメンと返信したのだけど、それが本当に用意されているとは思わなかった。
「代金は『小路先生のおもしろい新作漫画』でお願いしたいな」
「……がんばります」
そのためにもラーメンを食べて英気を養おう。
「そういえば、今日からプロ野球のキャンプだっけ? 始まったんだよね?」
ラーメンをすすっていた私の手が止まる。
「は、はい……始まりました、ね……」
「あれ? 楽しみにしていたんじゃないの? 野球好きでしょ」
担当さんはニコニコしながら聞いてくる。その笑顔を見て、まだ話をしていなかったことに気づいた。
「テレビでキャンプの中継もやってるんだよね。あ、いま見る? 多分映ると思うんだけど」
「いえ……今日は、やめておきます」
「どうしたの? テンション低いね」
これは、話さなければいけないな……。
「少し長くなるかもしれませんが良いですか」
「この会議室、次の予定入ってないから長くなっても大丈夫だよ」
「では、正直に話しますね」
と言って、私はラーメンに視線を落とす。トッピングのメンマを箸でつまむ。
「私、ヒーローインタビューで『好きな食べ物はメンマです』っていった選手と仲良しだった選手のことがすっごくすっごく好きだったんです」
そうか。メンマを見るとそのつながりであの選手のことを思い出すから、ラーメンから離れていたんだ。
「ヒーローインタビューで好きな食べ物とか話すんだ」
「その選手はそのインタビューがきっかけでブレイクしましたから」
「へぇ。でも小路先生が好きな選手は、その選手と仲が良かった選手のほうなんだよね」
「その通りです。ですが、その選手は去年、来季の契約はしないと告げられまして……」
「それっていわゆる戦力外通告……」
「……そうです」
「ごめん。俺、プロ野球を細かくは見ていなくて」
「いいんです。その選手は結局、一軍で一度もヒーローインタビューを受けることなく引退してしまいましたから。でも、私にとってはすごく魅力的な選手だったんです」
ああ、やっぱりだめだ。話し続けたらごまかせるかな。
「2月1日はプロ野球チームがキャンプンインする日で、球春到来って言われているんです。去年までは私もワクワクしていました。でも、みんながみんな、球春到来を楽しい気持ちで迎えているわけじゃないんだなって」
なんとか、メンマをかじる。
「応援していた選手がいなくなるだけで、こんなにも……どうしようもなく寂しいんです」
……ラーメン、のびちゃうな……。
「でも、楽しい気持ちに水は差したくない。だから、寂しいという思いは目を閉じて自分のなかにしまう。深呼吸をして気持ちを落ち着かせます」
「そうだったんだ……」
「そうだったんですよ~。私、今ならこのことで、役者さんばりにすぐ泣けますから……!」
そう、私が応援していた選手がいなくても、チームは、プロ野球界は、何事もなかったかのように、新しいシーズンに入っているのだ。
私の気持ちだけ置いてけぼり。それが寂しい。
「あれ、なんかラーメンがしょっぱい……」
「って、小路先生、ガチ泣きしてるから!」
「ほら、だから言ったじゃないですか~! 選手のこと考えたら役者さんばりに泣けるんですよぉ~……」
考えなければいいのかもしれない。でも、8年応援し続けてきた選手のことを考えるなっていうのは、それは無理な話で、ふと思い出しては……
「すみません……なんか、でも、あの、復活する方法はちゃんと、ありますから……」
そう、なんとか涙を引っ込め、前向きになる方法は、ある。あるけど、風が邪魔をする。埋まることのない心の隙間に、絶えず風が吹き込んでくる。
「小路先生、ごめん。まさか、そんなことになっているなんて思ってもいなかったから」
「いえ……話せて良かったです。泣いておいて説得力ないと思うんですけど、野球自体は好きですから。いつか、心から野球を楽しめる日が来ると良いな、とは思っているんです」
それがいつになるかはわからないけれど。球場で楽しく野球が見られるように。今、私にできること。それは、おもしろい漫画を描くことだ。思い出しても泣かなくなるくらいおもしろい漫画を。