1月26日 僕と雨とツローの日【今日のものがたり】
雨が降っていたから、釣りに行こうと思った。
でも、その前に少しだけトレーニングをする。しないと落ち着かない。今日は試合も練習もないし。
起きてから2時間がたった。雨は降り続いている。それでも今日の僕はあそこで釣りをするという意思で変わらない。雷はなっていないし、僕にとっては釣り日和だ。
釣りはいつもひとりでしている。何も考えずに、いや、逆にいろんなことを考えているのかもしれない。釣糸を垂らして海面を見つめる。釣れても持ち帰ることはできないので、キャッチ&リリースということをしている。
そうこうしているうちに目的地に着いた。驚いた。先客がいた。雨なのに。
座っているが、背が高い男だとわかった。僕は人の身長をだいたい言い当てられる。あの人はおそらく181センチはある。僕より18センチも高い。
……そんなことよりなぜ、あの人はここにいるのだろう。これまで誰かがいたり来たりしたことはなかったのに。
僕だけの場所、そう思いかけたとき、そう思っているのは僕だけでなく、ここへ来る人はみな、同じように考えているのかもしれないと思い至った。そうだ、僕はここへ毎日来ているわけではない。僕がいないときに誰かが来ていてもおかしい話じゃない。むしろ自然なことだ。
たまたま今日、初めて自分以外の人も同時にここへ来た、ということなのだ。
「おはようございます」
僕は挨拶をした。トレーニングもそうだけど、挨拶もしないと落ち着かない。でも、それ以上の会話をするつもりはない。ここへはおしゃべりをしに来たわけではなく、釣りをしにきたのだから。
「おはようございます」
驚いた。挨拶を返してくれた男性は実に良い声だった。かけているサングラスのメーカーがわかるくらい見つめてしまうほどに。
こんな雨の日に釣りをしに来るなんてどうしてですか……と、聞きたくなった。会話をするつもりはないという僕の考えを改めさせられるぐらい、この人からは何か、雨が降っていても消えない不思議なオーラのようなものを感じた。日々見せつけられているオーラに少し近いような気がした。
ため息をつきそうになったので深呼吸に変える。吐ききってからゆっくり息を吸い込む。吐ききる。釣りをしよう。
空の曇り具合、波の音、雨の音。小さい頃は雨が降るとできないことが増えて嫌だった。でも今は、雨の日だからできることがあると知っている。だからここへ来た。僕にとっての秘密基地。
気持ちが凪いでいく。雨はまだ降り続いている。魚は釣れない。
少し強めの風が吹いてきて僕は身体を反転させた。視界に人影が現れてぎょっとした。そうだ、男性がいたんだった。すっかり忘れていた。
すごい。オーラを感じたのに、気配は消せるなんて。妙なところで打ちのめされていると自覚しながら僕は口を開く。
「変なふうに聞こえるかもしれませんが、話しかけないでくださってありがとうございました」
本当に変なことを言っている。なんだこいつ、と思われているかもしれない。でも、それが正直な気持ちで正直に言いたくなったのだ。
「僕はあなたを知っています。芸能界にうとい僕ですら知っている俳優さんです」
素顔はほとんど見えていないのに、それでもわかったこの人の正体。
「僕は氷口と言います。プロ野球選手です」
僕だけが相手を知っていて、僕が誰なのか名乗らないのはフェアじゃないような気がしたのだ。
「すまない。このところプロ野球はあまり見ていなくて」
「いいんです。僕はまだ一軍の試合には出られないので」
話すつもりはなかったのに、話し出したら聞きたいことが出てきて気持ちが前のめりになる。
「あの、演じるときに緊張したりしますか」
そう質問すると、座ったままの男性はサングラスをはずして僕を見あげてきた。あとじさるくらいの目力だった。
「今でも緊張はするよ。むしろ緊張しないと始まらない」
声も、表情も、穏やかだった。でも、どこか力強さを感じる。
「そういうものなのですか」
「きっと、君がここへ来ている理由と僕がここへ来た理由は同じだと思うよ」
男性はゆっくりと立ち上がった。立ち去る前にもう1つだけ聞きたいことがあった。
「あの、身長はいくつですか?」
「181センチ」
当たった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?