1月29日 タウン情報誌で開ける未来【今日のものがたり】
玄関のほうから「ただいまー」と姉さんの声が聞こえてきた。
「おかえりー!」
妹の深景はいつも元気よくそう返す。けれど今日はそれに輪をかけて勢いがあり、声のボリュームに僕は思わずのけぞってしまった。どうした。テンション高いじゃないか。
「お姉ちゃん! この人ものすっごくカッコいいね」
深景は手に持っているものを姉さんに見せながらニコニコしている。
「お、やっぱりそう思う?」
「思う~めちゃくちゃカッコいい」
「お姉ちゃんもさぁ、取材で会ったときこっそりドキドキしてたんだよね」
取材? ああ、雑誌記事の話か。
よく見てみれば深景が持っているのは確かに「彩」という、このあたりの地域に関する情報が載っている「タウン情報誌」だった。姉さんはその編集部で働いている。
で、どうやら、その情報誌にカッコいい人が載っているらしいのだが。
「お姉ちゃん、いいなぁ。この……みなみ、かわ、さん? って人と、何かお話した?」
「このときは写真担当で取材同行してたから、たくさんは話していないけど、撮影しやすい雰囲気を作ってくれる人で礼儀も正しくて……うん、お姉ちゃんもカッコいいって思ったよ」
「この人って、日本空間研究所ってところではたらいているんだね」
「はぁ?!」
思わずヘンな声が出てしまった。
「「どうしたの」」
「景心」「お兄ちゃん」
姉さんと妹の声が見事にユニゾンした。
「いや、その会社、僕の就職先だから」
「「ええっ?!」」
またハモった。仲のいい姉妹だなぁ。……って、しみじみしているときではない。
「あーそういえば、そう言ってたね。ごめん、忘れてて。でも、良い会社に就職できたんじゃない? 少なくともこの南川さんは素敵な人だから」
「お兄ちゃん、ほんと? ほんと? この人のサインとかもらえるの?」
妹がいつになくぐいぐいくる。そんなにカッコいい人なのか?
「ちょいちょい、落ち着け。まず、その南川さんとやらの写真をだな」
「はい! ね、カッコいいでしょ」
ものすごい至近距離で南川さんが写っているページを見せられる。妹がここまでがっついてくるのは初めてくらいなので、少し身構える。いい男じゃなきゃ兄としては……って、そういう考えはまだ早いか。妹はまだ小学生だ。しかも南川さんって確か40半ばぐらいだった気がするんだけどな。父さんの年齢に近いぞ。
「ま、まぁ、カッコいいとは思うけど……」
「けど?」
「いやいや、カッコいいです」
姉さんが撮影したという南川さんは、会社のホームページに載っている(そう、ホームページに載っていることを思い出した)南川さんよりもカッコ良く見えたのだから不思議だ。姉さん腕あげたな。しかし、本当のことを話さねば。
「カッコいいけど、この人は僕の直属の上司ではないんだよ。細かくいうと、直属の上司の上司」
「ちょくぞくの、じょうしの、じょう……」
「あーそうか。この南川さん、埼玉県の統括部長だもんね」
「そう、僕も埼玉なんだけど埼玉第二支所勤務で、その上司は北山さんっていう支所長だから」
「えーじゃあ、毎日会えないってこと?」
「毎日は会えないと思う」
「えーつまんなーい」
「景心が昇進して偉くなれば会う機会も増えるんじゃない?」
「そうだね! お兄ちゃん、めっちゃがんばってね!」
姉と妹に挟まれて育った僕は、なんというか、こういう押しに弱いのである。姉さんの発言は表情から冗談半分だとわかるけど。
「……できる限り、精進します」
「楽しみだねーサイン」
「あ、お姉ちゃんもまたしゅざい行ってよ~」
「その手があったね! よし、前向きに考えてみよう」
「わーい」
姉も妹も笑っている。平和だ。本当は就職することに一抹の不安を抱えていたのだけど、二人の笑顔を見ていたら大丈夫な気がしてきた。ありがたい。
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