第7球 チャンス(特別寄稿1)

 皆さま、こんにちは。元プロ野球選手の藤森 大雅(ふじもり たいが)です。今回はこのスペシャルエッセイに特別寄稿というかたちで第7球を担当させていただきます。
 選手会からこのお話をいただいたとき、プロ野球を引退している人間だからこそ書ける内容がいいよな、現役選手が書きづらいことこそ書こうと思いました。

 いろいろ考えて、決めたテーマは「チャンス」です。

 プロ野球選手にとって、チャンスという言葉はとても魅力的で、同時にとても重いものです。チャンスが何回あるかは誰にもわかりません。
 ただひとつ言えるのは、残酷な話かもしれないけど、チャンスは平等には与えられないということです。これだけは真実です。全選手に同じだけのチャンスがあったら、143試合じゃ足りません。二軍の試合をたしても足りません。限られた試合数の中で、誰にどれだけのチャンスが与えられるのか。それはもう、神のみぞ知る、世界です。
 でも、神ではない僕でもわかるのは、ドラフトの指名順によって最初のチャンスへの距離が違っていることです。

 僕が所属した4球団に共通して言えるのは、ドラフト上位の選手は入団した時点でチャンスの扉が手に届くところにあります。がむしゃらにアピールしなくとも、その扉に手をかけて、すぐ開けることが許されている、と僕は感じました。チャンスまでの距離が短いんです。ドラフト上位の選手はテレビや新聞でもよく取り上げられますし、ファンの皆さまもそうだろうなというのは感じていただけるのではないでしょうか。

 一方、ドラフト下位や育成入団の選手はチャンスへの距離が長いです。育成選手に至っては、まず支配下登録(※ドラフトの本指名とは別に、育成ドラフトというものがあり、そこで指名された選手は三桁の背番号を渡され、支配下選手にならない限り、一軍の試合には出場できない)されないといけないので、一軍の試合に出るというチャンスの扉自体が霧に隠れていて最初は見えません。

 だから僕が今、いちプロ野球ファンとして野球を見るとしたら、ドラフト上位の選手ではなく、下位だったり、育成から支配下登録を勝ち取った選手を応援したくなりますね。
 もちろん、ドラフト上位指名ということはそれだけすばらしい能力があると見込んでの指名ですから、魅力はあると思います。僕だってドラフト1位の選手には大きな期待をします。契約金はガッポリ、年俸も最初から一軍の最低保障年俸額であることがほとんどです。それだけもらってるんだからきちんとお仕事してね、というわけです。安いからって仕事しなくていいわけじゃないですけどね。

 僕は引退した年、半分以上の期間をファームと呼ばれる二軍で暮らしました。そこの試合では3割打ってたんですよ、実は。36のおじさん頑張ってたんです。まぁ、打席数は130ちょっとでしたけど。でも、いくら僕が頑張ってたと言っても、それで「はい、君にチャンスあげる」とはならないのがプロ野球の世界なんです。打率はもっといい選手がいるのに、別の選手が昇格したり、直前の試合で打たれまくった投手がなぜか一軍に昇格して先発したり。そこには選手個人ではどうすることもできない理が存在するのです。
 理とは、球団の方針だったり、一軍首脳陣のゴリ押しだったり、興行のためだったり……。理由を知ったら、そんなのくそくらえだ! と、見えない力に文句の一つも言いたくなります。もちろんそれをバカ正直に口に出したりはしません。ただひたすら野球をして、し続けて、小さな小さなチャンスの扉が見えたと思ったらそこにしがみついて、何とかこじあけるしかないんです。
 
 少なくとも僕はそうしてきたつもりです。だから、18でこの世界に入って、36のおじさんになるまでなんとか野球ができました。18年ですか。
 
 ベテランが居座ると若手育成の邪魔だ、なんて話を聞きますが、邪魔になるくらいだったらその若手はまだまだということなんです。本当にその若手選手の力がすばらしいものだったら、邪魔だと言われるベテラン選手を踏み台にしていくぐらいの結果を残すはずなんです。
 今活躍している選手たちも駆け出しだったころ、活躍している選手たちを超えようと必死に日々練習し、超えていった選手のはずなんです。ずっと見てきたファンの皆さまなら、ああ……と思いつく選手が何人もいると思います。
 僕もかつてはその駆け出しの選手の1人であり、月日が流れ淘汰されていった選手の1人でもあります。いつかは引退する。それは平等に訪れる避けられない運命です。

 プロ野球選手になること、それはプロ野球選手になりたかった僕からしたら本当に心から嬉しい幸せな出来事でした。でもその先は幸せなことだけではありませんでした。
 入団してプロ野球選手になって初めてわかった残酷な現実。チャンスは決して平等じゃない。それをかみ砕いて飲み込んで、受け入れていくしかなかったですね。すごくむなしかったです。なんで僕にはチャンスがなかなかこないのかと思ったことは何度もあります。でも、18年もやっていた僕だからこそ知っていることもあります。

 誰かが絶対に見てくれている、ということです。誰も見てくれないなんてことはないです。少なくとも真剣に野球と向き合っていれば。

 たとえ、プライベートでやんちゃしても(やんちゃの度合いにもよるけど……)、ちゃんと野球モードに切り替えができる人間であれば、チャンスの扉は見えてきます。オンとオフの切り替えが大事ということです。

 チャンスの回数はたった一度かもしれない。でも、プロ野球界というのはそういう場所なんです。一度でもあることに喜びを感じ、チャンスをがっちりつかめた者だけが生き残れる、シビアな世界なのです。


 いやーめっちゃ真面目モードで話してしまった。肩が凝ってきた。今日はこれから飲みにいこう。じゃない、食べにいこう。俺、お酒飲めないんですよ。
 最後に余談を入れてしまってすみません。

 次回のエッセイは現役選手に戻ります。
 どうぞお楽しみに。

 元プロ野球選手の藤森大雅でした。


◇藤森大雅プロフィール◇
4球団を渡り歩いた苦労人。一昨年引退し、丁寧で優しく、ときに熱い語り口が人気を呼び、テレビ・ラジオ・新聞と様々なメディアで解説・コメンテーターとして活躍中。

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