悩み多き…
久しぶりに書いています。
メンタルクリニックのカウンセリングがひと段落しました。
先生的には「もう通院必要なくね?」みたいな感じです。
まじか。
本格的な心理テストを受け、IQけっこう高いよー、思考傾向はいい意味ですごく普通だよー、という結果になり。
そして認知行動療法を一通り受け、めっちゃ常識的で偏った考え方もないよー、すごくちゃんとした人だよー、「振り返り」や「反証」もちゃんとできてるし、◯◯さん(←私)に問題があるのではないから自信持っていいよー、っていう最終的な評価でした。
まじか。
(あ、念のため書いておきますが、先生はちゃんとした方です。こんなふざけた話し方ではなくちゃんと説明していただきました。)
ああ、そうなのか。
と思うのと同時に、なんというか……どうしようもない怒りが込み上げてきました。
だったらこれまで私を否定し続けてきた家族や周りの人間はいったい何なのか!
もちろん私に自信を持たせるための先生の思いやりの言葉だったのかもしれないけれど、でも、それにしても……。
やっぱりそうなんだ…という気持ちと、だったらなぜ!?という気持ちでどうにもやりきれないのです。
生まれてからずっと私の存在を否定し続けた母と姉、そして私をさんざん連れ回しては毎回私の知らない場所へ繰り返し私を置き去りにした母、そして預けられたどの家でも感じた「厄介者」という感覚、学校で受けたいじめ、みんな口を揃えて「お前が悪い」と言った。
だから私は私の何がいけないのか、ずっとずっとその答えを探してきたのに。
なのに、なのに……。
自分を否定し続け、自分の居場所を探し続けた私の人生。
いつも後ろめたくて自己嫌悪でいっぱいだった私の50年。
無駄にしたのだ、と思うと悔しくて悔しくてやりきれない。
確かに先生が「自分のせいかも…と真っ先に考えがちではあるが、それに対する反証や評価もちゃんとできている」とおっしゃってくださったように、『どう考えても私を攻撃していた相手の方がおかしい』とは常に心の何処かで思っていたし、だからこそここまで真っ当に生きてこれた。
つまりは私の人生を全て台無しにされたわけではないし、私は今普通に考えても恵まれた環境にいて幸せに暮らしているのだから、とも思う。
それでも悔しさは消えない。
その悔しさは憎しみと恨みでもある。
綺麗事かもしれないけど、私は恨んだり憎んだりそういう気持ちをバネに生きる様な生き方は嫌だ。
そんなもの、もうたくさんだ。
なんというか。
気持ちの整理はなかなかつきません。
こうして書いていてもなんだか泣けてしまってどうにもこうにも文章が進まず……。
何に対しての涙なのか自分でもよく分からないけれど、とにかく涙が止まらないのです。
歳、かな。(笑)
この文章が誰かの役に立つのか分からないけれど、先生が最後におっしゃった「◯◯さんに一番必要なのは、あなたは間違っていない、あなたは正しいよ、と第三者から認めてもらうこと。そのためには自分の経験を少しずつでいいから誰かに伝えていくこと。言いにくいと思います。相手を選ぶのも難しいかもしれません。でも誰かに理解してもらうことで安心感が得られると思います。」というアドバイスの実践のひとつでもあり、私の中の気持ちの整理でもある、かな。
人は悩み多き動物で、社会性があるがゆえ自分の存在や立場に悩み迷い、察するがゆえ相手を伺い、そうして一生生きていくんだろう。
それは恵まれた人もそうでない人も根本的には変わらないんだろう。
私はこれから何をしてもいい。
誰の顔色も伺わなくていい。
私は自由だ。
そう自信をもって残りの人生を歩いて生きたい。