映画「ウィッチ」から考えた私の家族

ホラー映画「ウィッチ」を観た。
深い信仰心を持った家族が人里離れた森の中で奇怪な出来事に巻き込まれていく話なのだが、怪奇現象よりもとにかく母親や妹が怖すぎて胸が痛くて辛かった。

とにかく母親が長女の娘に辛く当たるのである。
実の娘なのだが下の子達ばかりかわいがり長女にはあからさまに嫌悪感を示し、不幸や不運はすべてこの長女のせいだと信じて疑わない。
まだ幼い双子の弟と妹も母親の態度を見ているからなのだろう、この姉の言うことは全く聞かず姉をバカにしていて酷い態度で接しているのだが母親はそれを窘めもしない。
そして父親は見て見ぬふりをするばかりか、この娘のことを魔女だと疑っているのだ。

とにかく、心底恐ろしくて震えた。

ホラーらしい謎めいた出来事や動物の死、錯乱した家族や殺し合いなんかよりも、ごく普通の娘を家族ぐるみでいじめているあの家族が本当に恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。
困窮する生活と生まれたばかりの子供を失った悲しみ、行き場のない怒りややりきれない気持ちのはけ口として憎む対象が必要だったのかも知れない。孤立している家族には他に接する人もなくそれが家族の中に向けられただけだったのかもしれない。
だとしても、大した理由もなくいじめられているその娘もみんなと同じ辛い生活を送っているのに。

なんていう理不尽だろう。

そして思った。
家族なのにすべて自分のせいにされ忌み嫌われ辛い仕打ちを受けなければならない子供の辛さ。逃げ出そうにも他に生きるすべはない。
言い訳は許されず話す言葉は何一つ信じてもらえず、全ての不幸は自分のせいだと一方的に攻め続けられる地獄。

ーーーーこれ私の子供時代と一緒じゃん。

私も母からは否定され続けた人生だった。
おまえなんかいらなかった
おまえのせいで私は不幸になった
あんたが〇〇だから見てみろこのザマだ
ほんと何から何まで嫌なところばっかり
これだから女は嫌なんだ
あぁほんと陰気臭い

私の顔をみると息をするように湯水のように罵詈雑言は出てきたが、最後まで母の口から「ありがとう」も「ごめん」も一度も聞いたことはなく、テストで100点をとってもオール5の通信簿をもらってきても運動会で1等をとっても一度も褒められたことはなかった。

私は幼い頃繰り返し何度も母の手によって私一人連れ出されいろんな場所に置き去りにされたのだが、幸か不幸か毎回最後には家に戻されてしまった。
大人になってからこの件を母に聞いたら「あんたはまた嘘を言う」と吐き捨てるように言われたので、覚えてる事を事細くひとつひとつ挙げていったらやっと一言「あんた覚えてるの…?」と驚いた顔で聞かれた。
そんなことは考えもしなかったみたいだ。
たぶんあの人にとって子供は、意志も感情も記憶すらないただ動き回るだけの虫のような存在だったのかもしれない。

そして年の離れた姉は私が物心つく前から執拗に私をいじめた。
彼女はとにかく私を嫌っていて「あんたなんかいらなかった」「あんたは本当に嫌なガキ」が口癖だった。
というか、今でもそれは変わっていない。
むしろお互いいい年の大人になったぶん今の方がタチが悪い。

母が亡くなった時正直ホッとしたのだが、姉が母に取って代わっただけだった。
なんてことだ。

もう50を過ぎたいい大人の私をつかまえて、人を小バカにした様な見下した態度は今も全く変わらない。
彼女にとって私はいらない人間で不要なできそこないだから何を言っても何をしても失礼ではないんだろうね。
……バカなのかな。(苦笑)

そもそも私は姉と実家で一緒に暮らしたのは私が5つか6つまでで、しばらくして学生時代に2年ほど近所に住んでいただけで、会うことも連絡することもほとんどなく、私にとっては他人も同然である。「姉」という親しみは感じたことがない。

それでも姉は姉貴づらをしたがる。
大して会ったことも話したこともないのに、何が姉妹か、と思うけれど、だからこそ余計に「私が姉だと言う事を忘れんなよ!」ということらしい。

……は? 姉だから何?

と思うけれど、彼女にとっては先に生まれたというだけで、それは永久不滅の上下関係であり彼女にとってのプライドのようなものであるようだ。
そして彼女の頭の中ではその自負が「いつも面倒をみてやってる」という記憶にすり替わってしまうらしい。

20数年前、カウンセリングを受けていた精神科医の先生が最後の面接でそれまでにない強い口調で「親兄弟と縁を切りなさい」と言っていたけれど、私には未だにそれができずにいる。
母は亡くなったが姉はまだ君臨している。

血が繋がっているというだけでなぜ理不尽に勝手な扱いを受けることに耐えなければいけないのか、なぜ逆らってはいけないのか。

家族というのはこの世の理を最初に学ぶ場所である。
そこで虐げられることが当然だと教えられて育つと、大人になっても逆らえない。不思議。
ほんと不思議。
自分でもなぜかは分からない。
一種の洗脳なのかな。

大人になって「それはおかしい」と分かっても、もはや逆らい方が分からない。
そしてもうこの年まで来ると「なんだかもう先も長くないし、いまさら事を荒立てるのめんどくさい」としか思えなくなってきてしまっているのだ。

私は一方的に否定され続けた人生だった。

悔しい、
憎らしい、
恨めしい、
分からせてやりたい、
懲らしめたい、
後悔させてやりたい……

苦しみは無くならない。
それでもこの気持ちをぶつけても相手には響かない。
相手にとっては私こそが「悪」だからだ。

やってみなければ分からない
本気で気持ちをぶつければきっと分かり合えるはず!
そう思う人もいるだろう。
でもそんなのはフィクションの中だけだと思う。
私は実際に母と父、そして長女それぞれに大人になってから気持ちをぶつけた事がある。
でもびっくりするほど肩透かしをくらった。
全くの他人事というか、聞いてるのか聞いてないのかまるで暖簾に腕押しで、こちらが勇気を振り絞って思いの丈をぶつけても「何言ってるの?」という感じだった。

そもそも人の心の痛みを慮れる人ならそんな心無い言葉を日常的に吐いたりはしないんだと思う。
つまり戦うだけ無駄なのだ。

長くなってしまったけれど、そんな私の家族のことを思い出した。
辛い映画だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?