「きみも悪い人でよかった」(ピノキオピー)感想
画像は夕飯が美味しかった時の写真です。
今回はピノキオピーの楽曲、「きみも悪い人でよかった」について語ります。
この曲には思い入れしかないです、本当に。この曲を元に自分語りしようと思えばいつまでもできちゃいます。
故に想定以上につらつらと長く書いてしまい話が何度か脱線してしまいましたが、興味が無い部分は飛ばして適当に読んでいただければと思います。
歌詞を主観的に見て得た解釈と自分語りもりもりな感想しか書けなくてお恥ずかしいですが、楽しんでいただけたらこれ幸い…
美しすぎる歌詞
まずはこの曲の歌詞の美しさについて少し語りたいので、最近良いなって思ったものをひとつあげますね:
匿名S🧅さんの雑談配信でお話を聞いてから改めて気付かされたのですが、この対比する表現美しすぎませんか…?雨に打たれながらさっむい場所で触れる大切な人の暖かい手のひら、暖かすぎる。泣くわこんなん。
英語版カバーも良くてぇ…
話は少し逸れますが私が大好きなこの曲のカバーをここで紹介させてください。歌い手のRachieさんによる英語版「きみも悪い人でよかった」、"I'm glad you're evil too" です。
私はもともと rachie さんの歌声が大好きでいろんなボカロ曲のカバーを漁っては聴いていたのですが、今回語りたいのは rachie さんが作る英訳の良さについてです。
いくつか英訳の抜粋を日本語に直訳しながら解説していきます:
直訳:
「一緒に夕焼けを眺めたよね、君と私で
可愛い子犬のミームも送り合ったね」
着目してほしいのは「ミーム」という言葉。元々は「犬は可愛くて」だった部分を新しい表現に変えているんです。私が初めてこのカバーを聴いた時はかなり衝撃を受けました。ネットでの活動が日常の一部となりつつある今、動物の動画を親しい人と送り合う習慣がある人は多いんじゃないかと思われます。元々共感しやすい歌詞だったものが、一層共感できるものになっているだと…!?刺さる人にはかなり刺さるんじゃないかな〜…
直訳:
「一緒に虚空を見下ろして笑って
ボーカロイドを聴きながら泣いて」
この翻訳…マジかよ(率直な感想)
「ボーカロイドを聴きながら泣いて」の部分、元の歌詞は「変な歌で泣いて」なんです。ここに来て「変な歌」を「ボーカロイドの歌」として解釈しているんですよ…あくまで一つの解釈ではありますが、個人的にはかなり納得のいく翻訳でした。鳥肌が止まらない。
直訳:
「君が君で、私が私でよかった お互いに
君も悪い人でよかった
新しい一日が始まる時を、君と一緒に過ごせたらいいな
君と恋に落ちてよかった」
ラスサビの一番最後の歌詞です。
「きみもぼくと同じくらい悪い人でよかった
明日もまた 生きていたい 君を好きでよかった」
を翻訳したものなのですが、ところどころ表現が新しい言葉で盛られていて良いですね…
お互いの存在を肯定しあった上での「君も悪い人でよかった」、沁みるなぁ〜。それに翻訳の表現を「明日もまた生きていたい」にとどめず、「明日もまたあなたと生きていたい」にまで盛り上げちゃうのも熱い。
「君と恋に落ちてよかった」という翻訳も、意味のニュアンスとしては「君を好き」というよりは(loveという言葉を使っているので)「君を愛してる」という表現の方が近いかもしれません。英語での愛情表現は結構重みのある言葉を使う事が多くて素敵ですね…
作品の文章を別の言語に翻訳する際に個人的な解釈をもとに訳す事は望ましくない、という意見もあるかと思います。がしかし、自由度の高い翻訳には直訳には無い良さがあると私は思っています。
翻訳ごとに違う楽しみ方があって、共感する部分や芽生える感情が違って…最高です T-T
個人的な思い出に結びつけて聴く
さてここからが本編です。
この曲の歌詞には好きな対象(人・もの)との思い出がいろんな形で描かれているので、人によって共感する部分や思い出す記憶が異なってくるかと思います。私自信、この曲を聴く度にいろんな人とのいろんな思い出を思い出しては懐かしい気持ちに浸っているので…
ただその中でも一番鮮明に浮かび上がってくるのは、私が高校四年生だった頃の記憶です。話せば長くなりますが、簡潔に言えば「当時好きだった人がいて卒業と共に会えなくなった」っていう記憶です。
自分語り多めで恐縮ですが少し歌詞と結び付けたお話を足しておきます。
いや…本当に一瞬だった。一年という短いスパンでいろんなことが起こりすぎた。出会って好きになって、演奏会に出て話せるようになって、お茶を飲みに行って人生で初めて告白して、振られて会えなくなって… この話は「いつか漫画にでもしたい」ってレベルで濃かったんです。永遠じゃなくても、嘘でも、ただ幸せでした。
卒業間際の時期は特にこの曲を聴いては号泣していたような気がします…一回ランニングの休憩に聴いたら涙が止まらなくなって、座っていたベンチから動けなくなった記憶もあります笑
そう、私はこの曲を聴く度にこういった事を思い出してはノスタルジーに脳が破壊されているんです。聴く人によって思い出す情景は違えど、きっと何かしらの懐かしさに必ず心を掴まれるんじゃないかな〜と思います。やばすぎ(小並感)
ラスサビが愛
次は私が愛してやまないこの曲のラスサビについてです:
このフレーズに何度共感して何度救われたことか…
大切な人やものを想う歌詞全体の最後に来るこの言葉。
生きる理由ってすごく漠然としていて分からなくなることが多いですよね。私はこの言葉を聞いてから「自分にとって本当に大切なもののために生きていたい」という気持ちを強く持てるようになった気がしています。
ただ時には全力で生きていて全力で好きでいるつもりでも、何かが上手くいかなくて辛い思いをする事がある。このフレーズは、幸も不幸も含んだ過去の出来事諸々を前向きに捉えられるようにしてくれました。「辛いことも多かったけど、それでも好きなものを好きでよかったんだ」って。控えめに言ってGod。
いや待てよ、これ何気に歌詞全体を考慮しても同じことが言えるのかもしれない。日常的なシーンに潜む「ささやかな幸せ」を大事に抱えて生きるのも良いって、教えてくれているようなものじゃん…God…
そもそも一番最後に来る「好きでよかった」という短いフレーズだけでも破壊力がえぐいですね(語彙力どうした)。「好きであることが幸せだ、間違いではなかった」と思う気持ちを言語化することで、率直に「好きだ」って言うよりも一層愛が伝わってくる気がします。
それから:私は音楽理論の勉強を全くやってこなかったので音の解説にはあまり自信がないのですが、ほんのちょっとだけ触れさせてください。ラスサビの直前にあるテンション&リリース(?)の使い方が本当に本当に上手なんですよ…リリースと共に転調するエモエモな演出、大好きです。これは確実に泣かせに来ていますわ…
現在更新中の思い入れ
最後にこの曲の推しポイントについてもう少し語ると、生きているうちに聴けば聴くほど新しい思い出と重なって思い入れが強くなるところがすごくよくてぇ…ピノさんの他の曲も例外ではないのですが、この曲はずば抜けて個人的な思い出を重ねやすい歌詞になっていると思っています(感想)。
現に私もピノキオピーファンの方々と出会って、いろんな思い出がしゃばだばで…改めてこの曲を聴いたらその思い出を歌詞に重ねるようになっていたので。犬はかわいくて、変な歌で泣いて。最近思い出す楽しかった会話も大体ピノファン方との会話で。長年ピノさんの話なんてほとんど誰にもできなかったのに、ピノファン方の前では普通に話せて、それがとんでもなく嬉しくて…
本当に、感動することだらけです。
読んでくれてありがとう
沢山語れて幸せですわ〜うん。
恐らく今後も生きていればこの曲に対する想いは増え続けるので、書き足したいものが増え次第この記事も更新していけたらと思っています。
ただ本当に自分語りばっかりな書き方で申し訳ないです…個人的な経験を交えた感想なので、「そういう聴き方をしている人もいるんだな〜」くらいに捉えていただけたらと思います。
最後の最後に: 今までずっと好きなピノ曲が多すぎてハッキリ言えていなかったのですが、もうこれを機に断言しますね。
私が一番好きなピノキオピーの曲は、「きみも悪い人でよかった」です。