パニック発作持ちのアラサーが出産した話<計画無痛分娩>
パニック発作持ちである私が
妊娠出産した経験談を4回にわたってまとめています。
今回はその4回目です。
この記事では出産のときのことを記述していきます。
計画無痛での出産でしたが、後悔した点もあるのでもしこれから計画無痛を控えている方や興味のある方はぜひ参考文献としてご覧いただけたら幸いです。
前回の記事はこちら
パニック発作持ちのアラサーが妊娠した話③<妊娠後期>
分娩日の決定
38週1日目:予約をとる
36週で切迫早産入院から解放され、かれこれ2週間が経過。
お腹が下がっているような気がしつつも、前駆陣痛やおしるしなどもなく過ごしていました。
そして38週1日、健診のため2週間ぶりに産院へ向かいました。
内診をしたところ、子宮口がすでに2〜3cm開いているとのことで、分娩予約をとることに。
空き状況的に明後日か、1週間後かという2択が提示され、夫の休みの都合も考慮し1週間後を選択しました。
勿論それまでに産まれてしまう可能性も大いにありましたが、通っていた産院は計画ではない自然分娩でも無痛対応してくれるところだったのでさほど気にしていませんでした。(※ちなみに産院はこちらです)
前日入院
迎えた前日入院の日。
計画分娩では多くの場合前日に入院して、必要に応じた事前処置をしてから翌日促進剤で産むことが多いようですが、私もそのケースでした。
ここからは起こった出来事を時系列で書いていきます。
お昼過ぎ:病院到着
夫に送ってもらい、血圧体重などいつもの計測をした後、病室へ。
広くはないものの洋風でピンクの壁紙の可愛らしい個室でした。
切迫入院では大部屋だったので、1人で過ごせる空間に感動してしまいました。
15時半ごろ:内診と事前処置
診察室へ呼ばれ内診。子宮口などの状態を確認しました。
医師曰く「だいぶ頭は下がってきてるね〜」とのこと。そしてそのまま事前処置でバルーンを挿入。バルーン挿入は噂通りかなり痛くてしんどかったです。
その後病室に戻り、抗生物質の錠剤を飲み、点滴用のルートを確保。切迫入院で点滴を刺しまくっていたため、もはやルート取りくらいでは痛いとか怖いとか何も感じませんでした。
悲しいかな、怪我の功名というやつですね。
助産師さんから翌日の説明を受け、あとは一人個室でNSTモニターをお腹に付けたまま過ごすことに。
この時説明をしてくれた助産師さんからは「しんどいと思ったらいつでも無痛できるから、早めにやっちゃいなね」とアドバイスを受けました。
しかしまだ陣痛が来ている感じではなかったので当分先だろうな〜と気楽に考えていました。
16時ごろ:前駆陣痛…?
バルーン挿入から1時間ほど経った頃から、ずーんとした腰の痛みや張り感が少しずつ出始めました。
さらに時間が経つと用を足した後にやたら痛みが出るようになり…。
いわゆる前駆陣痛のような状態になっていました。ですが生理痛のひどい版くらいだったのでそのまま過ごすことに。
この時にはまだ正直陣痛がどんな痛みなのか全然想像がついていませんでした。なので「出産はまだまだ先だろうな、無痛の麻酔なんで当分入れる必要なさそうだな」などと考えていました。
21時ごろ:陣痛らしい痛みが顔を出す
消灯時間を迎えるころ、急激に「これは明らかに陣痛じゃないか?!」と思しききつめの鈍痛がくるように。しかしまだ間隔がバラバラだったので、本陣痛ではなさそうだなと自己判断してしまいました。
耐えられる=麻酔なんてまだまだ先、産まれるのなんてもっと先、と思っていたのです。この考え方が後々の後悔につながるとも知らず。。
22時過ぎ:痛みと不安で心療内科の薬を服用
痛みはあるものの寝てしまえばなんとかなりそうな感じだったので就寝することに。あくまで翌日産むと思っていたので、その本番に備えようとしていたのです。
しかし一人きりの暗い個室でモニターだけが点き、かつ時折痛みが来る状態ではとても寝入ることができず、気持ち的にも不安になってきてしまいました。
そこでやむを得ずクエチアピンを半錠服用。なんとか少し寝ることができました。
分娩当日
寝たり起きたりしているうちに日付が変わり、ついに分娩当日を迎えました。まだまだ真夜中でしたが、さらに陣痛は増すばかり…。
午前2時ごろ:突然の猛烈な痛み
突然猛烈な痛みが持続的に襲ってきました。あまりの痛みに気が狂いそうで、パニック発作の離人症状も起きかけるような状態に。流石にこれは無理だと思いナースコールをしました。
来てくれた助産師さんが私の状態を確認し、ひとまず入れていたバルーンを抜き様子を見ることに。
そしてこの時にも「無痛いつでもできるからやりたくなったら言ってね」と言われました。
産後振り返るとこの時に「じゃあもう今やります!」と言っても良かったのですが、バルーンを抜いたら少し楽になったことと、まだ耐えられるという謎の自己判断があったため、再び1人個室で悶えながら過ごすことになったのでした。
(読んでいる方はそろそろお気づきかと思いますが、この「耐えられそう」という無駄な自負が、私を無痛から遠ざけていました。。産後振り返ると、もうこの段階で余計なことを考えずに無痛をすべきだったと思います。。)
午前3時ごろ:陣痛は強まる一方
そこから陣痛は強くなり続け、体勢を変えたり座ってみたり試してみるもどうにも無理な状態に。パニック発作は起きていなかったものの、陣痛の山が来るたびに気が狂いそうになっていました。
午前4時ごろ:ついに無痛をリクエスト
陣痛の山のてっぺんがグランドキャニオンのようにしばらく続くような感覚になってきたところでさすがに耐えられなくなりついにナースコール。
私「無痛お願いします…」
助『わかりましたー!準備しますね!』
ナースコールから聞こえてくる返事があまりにさらっとしていて、脂汗をかきながら耐える自分の状況との差にやや戸惑ってしまいました。
その後はLDRになんとか這うようにして向かい、点滴などの準備が進みました。夜中で人員が足りないのか、20分くらい待ってようやく麻酔科医が登場。
医『エビのように丸くなってね〜』
私「ゔぅ〜〜(痛みで言葉が話せない)」
丸くなれと言われるも痛すぎて丸くなんて全くなれず。さながら暴れる獣とそれを押さえ込むスタッフという構図で、なんとか麻酔の管が入りました。
そして陣痛に耐えながら待つこと30分ほどで気持ち薄ら痛みが軽快。獣ではなくなりしっかりと人語を話せるようにまでなりました。
ここで助産師さんから、進みが早そうだから夫を呼ぶようにと言われたため、電話で叩き起こし産院に来るよう伝えました。
午前5時:子宮口全開大に
無痛の麻酔を始めてから1時間弱経ち、この頃には麻酔もかなり効いてきて、少し笑うことができるくらいになっていました。
いきみたい感覚が起こり始めたので内診してもらうと、もう子宮口は全開大とのこと。あまりの経過の速さに自分で驚いていましたが、もうすぐ赤ちゃんが出てくるのだと思うと少しそわそわしてきていました。
午前6時:夫到着
この頃にはもう1〜2分間隔で陣痛の山が来ていました。子宮口が完全に開いていたおかげで好きにいきんでいいという許可がもらえていたので、山が来るたびにベッドのバーを握りながらいきんでいました。
麻酔は効いていたものの、骨盤自体の広がる痛みや圧迫感、いきみたい感覚はなくならないので、余裕は無かったです。ぎりぎり会話できるかな、というくらい。
1〜2分の間隔の狭間で寝落ちして、山が来て意識を取り戻す、というのをひたすら繰り返していました。
しんどいながらも、危惧していたパニック発作などは特に起きていなかったので良かったです。不安を感じるような余力がなく、目の前のひと山ひと山を乗り切るので頭がいっぱいだったからかもしれません。
ただ、なんなのかよくわからない涙がずっと出ていたのは覚えています。(生理現象でしょうか。)
午前7時半ごろ:破水、分娩体制へ
引き続き何度もいきんでいるうち、ついに破水。これを機にいよいよ分娩体制に入ることになりました。
平らだったベッドが分娩仕様にトランスフォームしていき、あっという間にtheお産の体勢に。助産師さんの手際の良さに感動しました。
助産師さんの指示を聞きながらいきんだり、力を抜いたり。
夫は枕元に立ち私の頭を枕ごと持ち上げてサポートしてくれていました。
さすがにもうこの段階の痛みは麻酔でどうにかなるレベルではなく、めちゃくちゃしんどかったです。骨盤も股もぶっ壊れるのではないかと思いました。そして「もう壊れてもいいから終わらせたい」と心から思っていました。
午前8時過ぎ:赤ちゃん誕生!
そして1時間ほど経った8時すぎ、ついに赤ちゃんが誕生!3000gちょっとの大きめな女の子で、元気に産声をあげてくれました。
感動で泣くかと思っていましたが、産まれたという事実に対してあまりに現実味がなく、涙は出てきませんでした。
どちらかというと、「ああ、ついに産まれたのか…あの台の上で拭かれている赤ちゃんは我々の子なのか…不思議」なんていうソワソワした気持ちの方が強かったです。
無事産まれたことで、これまで薬を飲んだり様々な不安を抱えながら過ごしてきた妊娠期間が、ようやく幕を下ろしました。私にとってはその安堵感も大きかったように思います。見た限りで赤ちゃんに大きな問題も無さそうで、それが何より安心できる要素でした。
午前9時ごろ:地獄の縫合…
赤ちゃんは一度別室で身なりを整えてもらいに行き、私はその間股を縫われることになりました。赤ちゃんがやや大きめだったこともあり、それなりに裂けたようでした。
私の場合、よく聞く”会陰切開”はしていませんでした。恐らく本来なら無痛もやっているし切開してしまうつもりだったと思うのですが、産まれた時間が朝の引き継ぎ等と被る時間だったためか、医師がなかなか分娩室に現れず、待っている間に産まれてしまっていました。それ故に私の産道は内も外も裂けてしまったという訳です。
無痛の場合は麻酔が効いているから縫われても痛くないはずなのですが、何故か声が出るほど痛い!
医師も「あれ?痛いの?麻酔してるんじゃ無かったっけ?」みたいなリアクション。
そこで麻酔の点滴バッグを見てみると…なんとすっからかん!
痛みで麻酔の追加ボタンを押しまくった私のせいなのでしょうか、用意されていた分を使い切っていました。(無痛の麻酔は自分で追加することができます)
慌てて新しい痛み止めの点滴が足され、多少マシにはなりましたが、縫い終わるまでだいぶ痛かった記憶があります。
もしかしたら、お産の最後の方で骨盤も股もぶっ壊れそうになったのは、既に麻酔が切れてきていたのでは?と縫われながら思ったのでした。
午前10時:初めての家族3人の時間
縫合が終わると、身なりを整えてもらった赤ちゃんが私たちの元に帰ってきました。
そこに縫合中退室させられていた夫も戻ってきて、しばし3人の時間に。
前もって決めていた名前で初めて呼んでみたり、写真を撮って過ごしました。
午前11時:夫帰宅、産後入院へ
3人で過ごしてしばらくしたのち、夫は退室の時間に。赤ちゃんも新生児室へ抱えられていきました。
私はというと、無痛の麻酔のあとなので車椅子に乗せられて病室へ帰りました。朝の出産だったので産後入院0日目がたっぷりとれ、横になりながらのんびり過ごさせてもらうことができました。
翌日からは赤ちゃんと過ごしながら授乳をしたりおむつを変えたりしつつ、今後のメンタルも考えて無理のない程度に同室をすることに。
産後のホルモンのおかげなのか、無理をしていないからなのか、不安になることもパニック発作が起きることもなく入院期間を過ごすことができました。
そして産後4日目、母子共に健康で退院し帰宅することができたのでした。
ご覧いただきありがとうございました
今回も長文にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
ついに迎えた出産本番。計画無痛の前日処置からあっという間に陣発、本陣痛からは7時間ほどの安産となりました。
このお産で唯一後悔しているのは、麻酔を入れるタイミングです。自分で決めて良いと言われたのはありがたかったものの、初心者&無駄に我慢強い私はどこまで耐えればよいのかわからず、気づけば随分子宮口が開いていました…。麻酔に15万円も払っているのだから、もう少し早くから麻酔して苦しい時間を減らしてもよかったのにと強く思います。(麻酔で陣痛が遠のくケースもあるそうなので、早々に麻酔しなかったことで安産だった可能性もありますが)
妊娠中の話はこちらにまとめておりますので、もしご興味をお持ちいただけましたらそちらもご覧くださいませ。
長くなりましたが、本記事をご覧いただきましてありがとうございました。
マガジンで全4回を読んでくださった方がいらっしゃいましたら、心から御礼申し上げます。
また他の記事も機会がありましたらご覧いただけますと幸いです。
それでは、皆様にとって今日がよき日、よき時間となりますように。