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パニック発作持ちのアラサーが妊娠した話③<妊娠後期>

パニック発作持ちである私が
妊娠出産した経験談を4回にわたってまとめています。
今回はその3回目です。
この記事では妊娠後期のことを記述していきます。

前回の記事はこちら
パニック発作持ちのアラサーが妊娠した話②<妊娠中期>

妊娠8か月:突然の入院宣告。切迫早産でベッド上安静に

2024年1月4日の午後、妊娠8か月後半を迎えた私は、お正月気分の抜けきらないまま意気揚々と新年初の健診へと向かいました。

いつも通り長い待ち時間を過ごしながら、体重血圧や経腹エコーなど、順番にこなしていきました。
長い待ち時間を過ごし、ようやく最後の経膣エコーを終え、いよいよ帰れると思ったその時…

「今日は帰せません。入院です」

という突然の入院宣告を受けてしまいました。

どうやら子宮頸管という子宮の入り口が、25mmあるかないかで短く、いわゆる切迫早産にあたる状況なのだそう。(30mmくらいは欲しいのだとか)

あまりに突然で大変ショックを受けました。

つわりも酷い上に元々不安があって外出は他の妊婦さんより確実に少なかったはずなのに。そんなに無理したつもりもなかったのに。なぜ…?

色々考えたものの、切迫早産自体に明確な原因はないとのことで、おそらく体質だろうと。

診察が終わるとともに、あれよあれよと準備がされていき、その晩から約1か月半に及ぶ入院生活が突如として幕を開けたのでした…。

幸いだったのは、出産予定の産院で入院することになったので、その日からいわゆる「美味しい産院のご飯」が毎日出てきたこと。

美味しいご飯が大きなモチベーションになり、突然始まった入院生活も不安を持つことなく過ごすことが出来ていました。

そして驚いたことに、入院生活が始まってからパニック症状が全く出なくなりました。医療機関にいるという事実が潜在的な安心感に繋がったのだと思います。急な入院のため手持ちの頓服薬が残りわずかな状態で心配していましたが、手をつける必要もなく日々を過ごしていきました。

不安感も少なく時間を持て余したので、産休中にやろうと決めていたピクミン4をひたすらプレイ。

唯一メンタル面できつかったのは、毎朝NSTモニターをする為に分娩室のあるフロアに行く必要があったことです。なぜならまさに今分娩中の叫び声などがモロに聞こえてくるから。

誰かの苦しい声を聞くと、自分も苦しくなる気がして、なかなか耐え難い時間でした。(自分もなかなか苦しい声を響かせて出産したので人のことは言えないのですが…)

また仕方がないのですが、シャワー許可が数日に一度なのもなかなか堪えました。

そんな感じでひたすら淡々と毎日をこなし、あっという間に入院生活に慣れていきました。

※入院生活の話は細かく日記につけていたので、そのうち時間のある時に別記事にまとめてみようかなと思います。(入院で使ったものとか、気持ちの変化とか、色々書けそうなので)

妊娠9か月:長引く入院。限界がきて頓服薬頼みに

入院から約2週間が経った頃、妊娠9か月目に入りました。
定期的に医師の診察を受けるもなかなか退院の話が出ず、もう産むまで入院コースなのかなと少しずつ悟り始めていました。

そしてはじめは美味しくて楽しみだった産院のご飯も、何日かでメニューが一周してしまいマンネリに。点滴に繋がれてただただベッドの上で過ごす日々に徐々に嫌気がさしてきていました。

もちろん赤ちゃんのことを考えたらこれが最善なのだということは分かっているのですが、本当なら今頃産休に入ってベビーグッズの準備をしたり最後の自由な時間を楽しんだりしていたのだろうと、想像しては悲しくなっていました。(グッズの購入や水通しは、夫が代わりにやってくれていました)

そして入院34日目の夜中、ついに問題が発生しました。

安定していたはずのパニック症状が突然復活してしまったのです。久しぶりだったので自分でも驚きました。

手持ちの頓服を飲み何とかその場は持ちこたえましたが、ストックがほとんどない状態だったので、翌朝看護師さんに相談し院内で唯一処方可能だったソナラックスを頓服で出してもらうことになりました。

そこから毎日1回は頓服でソラナックスを飲まないときつい状態に陥ってしまい、あまりの変化に戸惑いました。

恐らくですが、入院生活に対してのキャパが限界を迎えてしまったのだろうと思います。

服薬するようになってからは、常に悶々とした気持ちで過ごすようになりました。

服薬することには少なからずリスクがあってなるべくなら避けたい。でも切迫で入院が必要と言われていて、入院するのには服薬が必要で。

自分で調べた限り切迫早産は安静にしようがしまいがあまり関係ないとも言われていると出てきて。(医療者や医療機関ごとに見解が分かれているそうです)

じゃあ入院してソラナックス飲んでいる自分はなんなんだ…?と、そんな感じのことをひたすら考えていました。

そうしてなんとか1日1日を消化し、妊娠9か月を満了したのでした。

妊娠10か月:念願の退院。産前最後の心療内科へ

妊娠36週になるタイミングで、ついに医師から退院の許可が出ました。

もう産むまで外の空気は吸えないものと思っていたので、退院が決まったのはとても嬉しかったです。

入院39日目、長らく繋がれていた点滴を外し、ようやく退院することができました。

退院後はすぐ心療内科へ向かい、出産に向けての相談をしました。
これまで飲んでいたアルプラゾラム(ソラナックス)は授乳期には飲めない薬とのことで、代わりにクエチアピンを出してもらうことに。

実はこのクエチアピン、切迫早産入院の前にお試しでちょこっとだけ服用してみていたのですが、アルプラゾラムよりはゆるーく効く感じで、とてつもなく眠くなるのであまり使い勝手は良くないと思っていました。
しかし産後にパニックが出てしまっては困るので、一旦それを処方してもらう形にしました。

またそれと併せて漢方の抑肝散加陳皮半夏も使っていくことになりました。この漢方は結構体に合っていたのか、使っていくうちに不安感が薄くなっていきました。(ちなみに産後4か月経つ今も服用を継続しています)

そしてあっという間に退院から1週間が経ち、正期産となる37週を迎えることができました。
健診では子宮口が既に2-3cm開いていたので、翌38週に計画無痛の予約をすることになりました。

いよいよ出産の時が迫るなか、意外にも不安はそこまでなく、かなり穏やかに過ごせていました。
これは恐らく、入院ではなく自宅に戻れたことと、気候が安定していたからだと思います。

次回は出産編です

今回も長文にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

妊娠後期は突然の入院に翻弄されていましたが、周りのサポートもありなんとか耐えることができました。

…が、やはり入院とパニックは相性が良くなさ過ぎました。限界を迎えてからはかなりきつかった記憶があります。産科だとパニックへの理解もあまりないですし…。
こういうこともあるので、個人産院よりも総合病院のほうが勧められるのかもしれませんね。

さて、いよいよ迎えた出産の話は次の記事
パニック発作持ちのアラサーが出産した話〈計画無痛分娩〉
にて記してまいります。
もしご興味をお持ちいただけましたらそちらもご覧くださいませ。

長くなりましたが、本記事をご覧いただきましてありがとうございました。
皆様にとって今日がよき日、よき時間となりますように。

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