soundtracks|5. my confidence song
私が執筆したZINEの読者と対談するツアー "soundtracks"。第1期の最終回は、山田義裕さん(山崎さんのお師匠)、homeportメンバーの山崎さん、阿部さんと打ちあげを兼ねた対談をした。
山崎さんの師匠である山田先生は、対面するとすぐにこう言った。「山崎がいつもお世話になってます」と。このフレーズは家族を対象に使うことが多いように思う。「いつも、妻が/父が/母が/弟がお世話になっています」のような感じだ。だから、山田先生にとって山崎さんは 家族、いわば"息子" に近い存在で、私は "息子の友達" に近い存在だったのではないか。そう感じた。
山田先生は、続けてこう言った。「山崎とは、長い付き合いなんです」と。それを皮切りに、様々な記憶を語ってくれた。山崎さんとの記憶、かつての同僚・先輩との記憶、教え子との記憶、そして自分が歩んできた研究生活の記憶。
山田先生から山崎さんへ、あるいはそこにいる私たちへ、記憶が渡されるような感覚を覚えた。
師匠から弟子に、記憶や技術が継承されるとき、弟子の受け取り方には、大きく2つのスタイルがあると思う。
1つは、師匠のやり方を弟子がそのまま受け継ぎ、孫弟子にそのまま継承するというスタイルだ。例えば、陶芸の師弟関係において、師匠から弟子に作法が伝えられ、弟子はその作法を守りながら器(うつわ)を作り、腕を磨き、最後には孫弟子に伝えていく。縦糸が世代を超えてずっと続いていくような、伝統的な継承スタイルといえるだろう。
もう1つは、師匠から渡されたやり方を我流で組みなおし、新しいやり方を作るというスタイルだ。先の例で言えば、師匠から陶芸の作法を伝えられ、腕を磨くが、途中で、その真髄は器(うつわ)の上に乗せられる料理にあるのではないかと考え、料理を学ぶ。さらに、器(うつわ)と料理に共通する基礎は土なのではないかと考え、土づくりを学ぶ。そうして組みなおしを重ねた先に、あるいは継承した縦糸を複数の横糸の中に編み込んだ先に、陶芸の道を見出すことを継承と捉える。これは、破壊-創造的なスタイルといえるかもしれない。
私は、後者のスタイルに傾きつつある。
もしかすると、私の引き継ぎ方は、師匠が思い描いたものではないかもしれない。でも、しかたがない。私には、これしかできないのだ。
行き着く先を師匠が見た時に「そういう道もあったのか、おもしろいね」といってもらえるようなかたちで、引き継いだものを組みなおせたらいいなと思う。山田先生と山崎さんの会話を聞いてそう考えた。
前回同様、"soundtracks"があったからこそ、読んでみたくなった本があるので、ここに残してみたい。
①世代とは何か(ティム・インゴルド著)
最近邦訳が出た新刊。継承を考えるときに、世代という概念を丁寧に捉えることが必要だと思い、読みたくなった。脈々と受け継がれる"知恵"について考えてみたいと思った。
②小さな泊まれる出版社(真鶴出版)
会話の中で登場した「宿をやる」というフレーズを、より丁寧に、現実的に考えるために読みたくなった本。泊まりに行きたいなぁと思って久しい「真鶴出版」のことが書いてある。真鶴出版から最近出た『最小文化複合施設』も気になっており、併せて読みたくなった。
これで、“soundtracks”第1期は終了する。
これまでの対談から、私が受け取ったキーワードを改めて記録したい。
track 1: 話し手本人の歴史を背負った音/文体。言葉と音/文体が重なる瞬間。言葉を乗せやすい文体を作り出す実践。
track 2: 首尾よくうまくやらないファシリテーター/研究/生き方。計画的=合理的研究スタイルと、即興的=野性的研究スタイルという、二つの原理の往復。
track3: 自分で自分を研究すること。そのきっかけとなる実践=「全く意味のわからない本」を読む実践。
track 4: 僧侶のような研究者、寺のような大学。避難所、アジール、ただそこにあって待つ場としての寺=大学。
track 5: 継承される記憶と技術。伝統的継承スタイルと破壊-創造的継承スタイル。師匠の見通さなかった道を行きたくなってしまう私。
最後に、ZINEを読み、会話をしてくださった、対談者の皆様に、心から感謝申し上げます。
また、このツアーを企画し、全日程で私と対談者の間を取り持ってくださった、homeport 山崎翔さんに、最大の感謝を。どうもありがとうございました。
本文章で言及した、対バン(対談)ツアー "soundtracks"の詳細は、以下をご覧ください。