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こはくらと巨樹巨木⑨~杉
杉。
そう聞いただけで春先の鼻のつらさが思われる人も多いのかも。
なぜ今迄取り上げなかったのか?という…
御神木になっている事例も多く、巨樹巨木も沢山あるのがスギ。なのに、なぜ……(答えなど出ない自問自答)
写真は実際に自分で訪ねて撮影したもので、記載事項は基本現地案内板情報です(他の書籍などを参照した場合は付記)。
弘前公園のスギ
青森県弘前市の弘前公園(弘前城址)といえば桜で有名ですが、樹齢数百年クラスの巨樹巨木も多数あり、春以外でも見るべきところは多いのではと。
スギの自生北限が青森県津軽地方であり、この杉の木は弘前城築城前から自生していたと思われ、弘前公園内に現存するスギとして最古といい、推定樹齢は500年以上。弘前市古木名木。
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関の杉(甕杉)
青森県西津軽郡深浦町。
本州のほぼ北の果てに立つ日本一のイチョウが「北金ヶ沢のイチョウ」ですが、同じく最寄り駅がJR五能線・北金ヶ沢駅となる杉の巨樹があります。県指定天然記念物で、関というのは所在地の地名のようです。
推定樹齢1000年という巨杉の傍には、古い石碑がずらりと並びます。これらは南北朝時代に安東氏(※鎌倉~戦国末に陸奥・出羽に勢力を張った氏族で、本姓は安倍)により付近の田畑に建てられた供養塔なのだといいます。そしてこの杉もまた、安東氏ゆかりのものではないか、と。
日本海側ならではと言いますか、側枝が発達したウラスギの特徴を見出せる姿であろうと…甕のように見えるから「甕杉」という呼称なのでしょうが、私にはむしろ炎のように見えました。
北金ヶ沢のイチョウと共に、みちのくの深い歴史に思いを馳せるところです。
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諏訪神社の翁スギ・媼スギ
福島県田村郡小野町、最寄りはJR磐越東線・夏井駅。車窓からもその根本を拝むことが出来る巨杉が、諏訪神社の翁スギ・媼スギ(国指定天然記念物)。神社の入口に門柱のように聳える、二本の大杉。幹周9m超、樹高48m前後と、ほぼ同じ大きさの巨杉がごく近い距離で並び立っている、その光景に驚きます。老夫婦になぞらえられるのも、むべなるかな。
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鉾スギ
天然記念物の登録名としては樹種名がカタカナ表記となるのですが、「鉾杉」の記載のほうがしっくりきます。
茨城県久慈郡大子町の近津神社に立つ、杉の巨樹。大子町には複数の近津神社があるため要注意です。鉾スギがあるのは、JR水郡線・下野宮駅そばの近津神社となります。
平安時代、前九年・後三年の役で奥州に出征した源義家が参詣の折に社殿脇の杉の木に鉾を立てかけたことが その名の由来とされるとのこと。幹周約9.8m、樹高約50m、推定樹齢1300年と、その堂々とした立姿だけでなくデータ数値的にも立派な、県指定天然記念物の杉です。
ちなみに、茨城県内にはこの源義家<八幡太郎>ゆかりと伝わる巨樹巨木が他にもあります。参詣の折に地面に差した鞭が根付いたとの伝承のある静のムクノキ(県指定天然記念物/那珂市)や、嵐のあとで霞ケ浦の波間に漂っていた小松を取りあげて植えたと伝わる高須の一本松(初代は昭和に枯死し、現在あるのは3代目?4代目?/行方市)など。
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三浦杉
茨城県常陸大宮市の吉田八幡神社の参道石段、その左右に分かれて立つ巨大な二本の杉が三浦杉で、県指定天然記念物。
平安時代、相模国の三浦大介義明が下野国・那須野に金毛九尾の悪狐退治へ向かう途中この神社に参拝し、「我 冥護により 悪狐を穫ば 此の杉 天にそびゆべし」と祈願し植えた、と伝わっており。
三浦義明が植えたという杉は樹高59m(現地案内板による。本『神様の木に会いに行く』<高橋 弘 著>では54m)までに成長した、と。
そして九尾の狐は那須野で討たれて殺生石となり、後に玄翁和尚により割られた…との伝承です。
更にの後日談的に…この二本の巨杉は、かつては「鎌倉杉」と呼ばれていたのを、水戸藩二代藩主・徳川光圀公がその由来を聞き「三浦杉」と命名した、とのことです。
茨城の巨樹巨木を語るにあたり避けて通れない人物の一人が、この光圀公です。御手植えと伝わる木も勿論ありますが(潮来市の二本松寺のマキなど)、この三浦杉のように命名した木もあり、詣でた寺社に巨木というケースも多々。
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御岩山の三本杉
今ではすっかり茨城県を代表するパワースポットとして知られるようになったのではないか、な茨城県日立市の御岩神社。
でも知名度が上がる以前、本当に昔々からここは霊山であったといいます。
神仏習合の山に立つ御神木が、この三本杉。県指定天然記念物、かつ、森の巨人たち百選。
その名のとおり幹が三本で、しかし三本の株が根本で癒着したのか、一株から三本に分かれたものかは不明とのこと。
天狗が棲んでいたという伝説から、「天狗杉」の異名も。
三本杉の向こうに、これまた同じくらいの太さの一本杉があって重なって見える為、「あれ?四本杉じゃないの?」と言う人が結構居ました。
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本山の一本杉
茨城県日立市、日立中央ICで常磐道を降りて県道36号を御岩神社方面へと向かうと道路の真ん中に立っている一本杉に出会います。
これは過去記事「こはくらと巨樹巨木④~そして伐られずに残った|Motomi Kohakura」に掲載済。
鷲神社のスギ
茨城県那珂市、JR水郡線・常陸鴻巣駅から徒歩10分ほどのところに、天日鷲命を祀る鷲神社。市指定天然記念物のウワミズザクラとスギがあり、こちらの杉は「太平洋側の杉の木って、こうだよねぇ」という、縦に一本シュッと伸びた姿。
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清水寺の杉
茨城県那珂市の、清水洞の上公園。
水戸藩二代藩主・徳川光圀公が、京都の清水寺に行くことができない当地の人々に、同じく清水が湧き流れるこの地に清水寺を建立して参詣できるようにした、と伝わり。
清水寺は、以後明治の神仏分離令、再興、火災、再建、など経て、今現在は無住の寺とのこと。
太平洋側のオモテスギは縦に一本シュッと伸びるものと思っていると、時々こういう杉に出会うこともあるのだなと…自分が訪ねたときは側枝がだいぶ落とされていたけれども、それでも太平洋側の杉としては異形の類と私には見受けられました。
市指定天然記念物。
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孫左エ門の杉
茨城県東茨城郡大洗町。鹿島臨海鉄道・大洗駅の南西、駅から歩いて10分ほどのところに小さな神社があります。ここに立つ杉の木を、Google Mapsのレビュアーは大洗の伝説の「孫左エ門の杉」としているらしい。
現在の大洗観光協会公式サイトには、この伝説に関する記事が見付からないのだけども(困)…以前自分が記事を読んでまとめた文章を持ち出してくると、
涸沼川の渡し守をし母と暮らしていた孫左エ衛門は笛の名人であったが、ある時舟端に現れた官女に乞われて笛を吹き、お礼に教えられた酒の泉の酒を飲み、果ては大蛇になってしまった。
最後の孝行と、孫左エ衛門は母を背に乗せて母の信仰する津島の天王さま(※愛知県津島市)へお参りさせ、戻ってくると「沼の内に帰る」と言って姿を消した。
母は泣く泣く息子を偲んで屋敷内に一本の杉を植え、そのもとに水神様を祀ったという。
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この一字一句全てを事実と信用するのは苦しいかと思いますが、母親が水難で帰らぬ人となった息子を偲んで杉を植え、その根本に水神様を祀った、というなら実際にあってもおかしくない話です。
六地蔵寺のスギ
茨城県水戸市の六地蔵寺は市指定天然記念物や市指定保存樹が複数あり、巨樹巨木的にも見どころが多いのですが。
推定樹齢1100年というスギには、この木を切ろうとした木こりの家が火事で焼けてしまったという伝説が。
これも上掲の過去記事「こはくらと巨樹巨木④」に掲載済。
太郎杉
茨城県水戸市の偕楽園は、言わずもがな梅の名所なのですが。
竹林、春の左近の桜、秋の萩など、梅だけじゃないのです。
水戸藩九代藩主・徳川斉昭公により開かれた、つまりその頃(だいたい幕末)からな歴史の偕楽園で、古老と呼びうるのが推定樹齢800年といわれる太郎杉です。
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ちなみに、偕楽園東門傍のハリエンジュ(ニセアカシア)が本『日本一の巨木図鑑 樹種別日本一の魅力120』<宮 誠而 写真・解説>で「日本一のハリエンジュ」として掲載されております。(ハリエンジュは明治の初めに海外から導入されたものなので、ほぼ同事情のユリノキやプラタナス等のように古木は日本に存在しないことになろうかと)
佐久の大スギ
茨城県石岡市佐久の鹿島神社に立つ御神木で、県指定天然記念物。
神社が創建されたといわれる応永期(1394~1428年)には既に樹齢千年近い杉として知られていたという巨樹。平成期に樹勢回復の治療を受け、この時に根を痛めないように見学者用の歩廊が贈られたそう。
本『地球の歩き方 日本の凄い神木』の著者・本田不二雄さんは、この木に会った感想を「すごいものを見た」と記しておられ、私もそれには共感しか無かった。
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鹿島神社の大杉
茨城県小美玉市、旧小川町唯一の元郷社である鹿島神社の御神木は、旧小川町で一番の杉の巨樹で、市指定天然記念物。天を衝くように上へと真っ直ぐに伸びる幹は、途中から二本に分かれています。この二本の幹の成長具合が結構違うように見えるので、これまでに何があったのだろうと色々考えたくなります(何故)。
余談ですが、旧小川町を含む霞ケ浦湖畔とその周辺には貝塚や古墳が多数あり(かつて霞ケ浦は海と繋がっていた)、古代に思いを馳せる地でもあります。
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鹿島神社の やどり木
茨城県稲敷郡阿見町吉原の鹿島神社の御神木は、推定樹齢500年以上の老杉。
これだけでは正直さほど珍しくもありませんが、その老杉の空洞には椎が根を下ろして宿り木となっており、しかも結構大きく成長しているのが凄いのです。まるで杉の幹に抱きついているかのような椎の姿。町指定天然記念物なのには理由があるわけだなと。
今現在はシイのみですが、かつてはヤマザクラやイチョウも寄生していたといいます。懐の深い老杉なのです。
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筑波山神社の大杉
男体山と女体山からなる双峰・筑波山を御神体と仰ぎ、その中腹に拝殿が在るのが筑波山神社(茨城県つくば市)。
その境内に立つ大杉は樹齢約800年とのこと。
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来迎杉
茨城県常総市の寿亀山弘経寺。
徳川千姫ゆかりの寺としても有名なのですが、私がここに詣でた目的は境内の来迎杉でした。
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弘経寺のホームページには、この杉にまつわる伝説が書かれており、まとめさせていただきますと、
当山二世の了暁上人(15世紀中頃)の頃の話と伝わる。
弘経寺で修行中の多くの僧の中に、宗運という名の勉強も熱心で大変優れた若者がいた。機転に富み、歌や踊りにも巧みであったため、毎年の開山忌の法要の後には彼とともに歌や踊りに興ずることを僧たちも村人たちも楽しみにしていたという。
ある年の開山忌の日、徹夜の法要に疲れた宗運はひと休みのつもりが前後を失い、深く眠り込んでしまう。了暁上人が宗運の眠る部屋を通りかかると、宗運の尻に尾が見えた。宗運の正体は「狢」だったのである。
獣の身でありながら僧になりたいという宗運の心根を愛でた上人は、着けていた衣でそっと尻尾を隠し、その場を立ち去ったが、我が身の不覚を恥じた宗運は寺を去る決心をする。
寺の皆に別れを伝えた宗運は境内の杉の大木に登り、
自分はこれからこの杉の梢に御来迎を願い極楽浄土へ行きたいと思う、
阿弥陀様が現れになられても南無阿弥陀仏と唱えないでほしい、
と言う。
やがて大杉の梢には瑞雲がたなびき、阿弥陀仏の御来迎が訪れる。そのあまりの尊さに人々は宗運の言葉も忘れ、手を合わせて南無阿弥陀仏と唱えてしまう。
光は雷に変わり、これに打たれた宗運は東の空へ向かい遠く飛ばされた。
数日後、川の畔の村に一匹の狢の死骸が流れ着く。これこそが雷に打たれ飛ばされた宗運の亡骸であり、鬼怒川に落ち、小貝川へと流れ、たどり着いたものだったろう。宗運の流れ着いたこの岸辺は、これ以降「狢淵」の名で呼ばれることとなり、それが現在のつくばみらい市狸渕である。
そして境内の杉の大木にも『来迎杉』の名が付けられ、その傍らに建てられた小さな祠には、宗運が自ら彫ったとされる面が納められた。
・・・と寺伝は伝えている。
(誤字脱字と思われるところは直しを入れつつ。たとえば原文では「つくばみらい市狸淵」でしたが、Google Mapsで見ると「狸渕」なので、こちらではそう記載)
この伝説を100%実話と言い切るには、科学が進んだ当世では非常に勇気が要ることでしょう。ただ、全部がウソの作り話とも断言など出来ない・・・それが民間伝承や寺社縁起の世界ではないでしょうか。実際に、何らかの理由で不幸にも水死した若い修行僧が居たり、狸の骸が川畔に流れ着くことはあったのかもしれません…。
常総市ホームページ内、文化財の項には、かつては樹高34mあったこの杉も30年ほど前より梢の枯れが目立つようになり、平成4(1992)年に枯損部を切除した、とあり。その長さ9m、切断面直径63cm、年輪数287本が数えられたそうです。申し遅れましたが市指定天然記念物です。
三郎杉
茨城県稲敷市阿波に、「茨城の日光東照宮」とも呼ばれる絢爛豪華な大杉神社があります。
本『茨城の名木・巨樹』には、
『常陸風土記』によると、現在の霞ケ浦・利根川・印旛沼・手賀沼一帯の突き出した形の半島状の地形を安婆島と呼称していた。おそらく、ここに住む人々は、このあんばの地にそびえ立っていた巨杉を海河守護の信仰対象とも航行標識ともしていたと想像される。
という記載。
大杉神社ホームページによれば、巨杉に鎮座する神は「あんばさま」と呼ばれ、あんばさまと呼ばれた太郎杉は1778年に失われ、現在の大杉神社の御神木は樹齢およそ1000年・樹高40mの大杉「次郎杉」と、樹高28mの「三郎杉」、とのこと。
三郎杉は境内の分かりやすい場所にあり、間近で拝むことが出来ます。
どこを見ても煌びやかな大杉神社ですが、ここは是非見ていただきたいという個人的イチオシが実はトイレだったりします(爆:でも実話)。もし参拝の折には、もよおしてなくてもトイレには必ず寄ることを強くお勧めします(爆爆)。
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鹿島神宮の御神木・二郎杉
茨城県の南東部に位置する鹿嶋市といえば、サッカーJ1チーム・鹿島アントラーズと、常陸国一之宮であり武甕槌大神(鹿島大神)を祀る鹿島神宮でしょう。
鹿島神宮樹叢として県指定天然記念物となっているだけあって、境内には樹齢何百年以上の巨樹巨木があまりにもフツーに何本も立っていて度肝を抜かれた思い出です。
そんな巨樹巨木の中でも、やはり別格なのは、本殿背後に聳える御神木である巨杉。前掲の本『茨城の名木・巨樹』には幹周11.0m、樹高43m、樹齢約1300年とあり、更には嵐の夜にはその頂が光ったという逸話が残る、とのこと。
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ただ、この御神木には一般の参拝者では近づくことは出来ないようで。境内で二番目に大きい杉・二郎杉は比較的間近に寄って見ることが出来、二郎といえども樹齢約700年という話なので、十分すぎるほど立派です。
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妙雲尼塔の大杉
栃木県那須塩原市、塩原温泉郷の妙雲寺。
平家ゆかりの妙雲禅尼の墓じるしとして植えられたと伝わる、三本が根本で結合した杉の古木があります。市指定天然記念物。
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この妙雲寺の掲示板には本当いい言葉が書いてあり…過去記事「お寺の掲示板|Motomi Kohakura」にて。
逆杉
同じく栃木県那須塩原市、塩原温泉郷。
塩原八幡宮に二本並んで立つ巨杉が逆杉で、国指定天然記念物です。
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平安時代、源義家が東征の途中、当所において「逆杉に神気を霊感され」、当八幡宮に戦勝を祈願したと伝わるそう。八幡太郎と巨木伝説、茨城だけではなかった。探せばもっと出てきそうですね。
こちら塩原八幡宮には、他にも「気の大杉」という杉の巨木があります。
水沢の観音杉
群馬県渋川市の、五徳山水澤寺。
坂東三十三観音の第16番札所で水澤観音とも呼ばれる古刹ですが、境内に市指定天然記念物の杉の木があります。推定樹齢は約700年とのこと。
過去記事「詣でたお寺の話《観音霊場・不動尊霊場、主に茨城》|Motomi Kohakura」に書いています。
矢立杉
群馬県高崎市の榛名神社の森は、県の緑地環境保全地域なのだそうで、参拝はもはやハイキングというか軽登山くらいの運動量に感じました。
参道の石段の途中にある矢立杉は、武田信玄が箕輪城攻略のみぎり参拝、矢を立てて祈願したといわれる巨杉で、前述の「榛名神社緑地環境保全地域」の説明板によれば樹齢は1000年以上。矢立杉としては国指定天然記念物でもあります。
神社の森には他にも巨樹巨木が何本もありました。
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香取神宮御神木
千葉県香取市の香取神宮は、下総国一之宮であり、経津主大神(香取大神)を祀る古社、かつ前述の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)さらに息栖神社(茨城県神栖市)と共に東国三社と総称されます。とりわけ鹿島神宮とは、水上あるいは水際の一の鳥居、船を出す祭礼、要石など共通点が複数あり、私には兄弟宮のように思われるのですが、神宮の樹叢・樹林として県指定天然記念物というのも一緒。それだけに、こちら香取神宮の境内にも巨樹巨木は多かったです。
御神木は授与所前の杉で、樹齢千余年と伝わり、歌人・国文学者の落合直文が「このめぐり いくさかあれと 四人して いだけどたらず 神のふる杉」と詠んだとのこと。目通り(幹周)約7.4m、四人で手を繋いで杉の幹を囲もうとしたけれども足りなかった、というのも納得がいくのでした。
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水戸藩二代藩主・徳川光圀公が参拝の折に植えたと伝わる黄門桜や、「この宮地の幾多の杉の母であろう」と木母杉と名付けた老杉(杉自体は枯死し、現在は寄生していた椎のみが残る)も境内にあり…下総国まで足を延ばしていらしたのね黄門様、と…。これもまた「黄門様の巨木名付け案件」。更に付け加えるなら、同じく千葉県北部の香取郡神崎町の神崎神社に立つ楠の巨樹・神崎の大クスには「ナンジャモンジャ」の別称があり、ナンジャモンジャと言われるのは樹種としてヒトツバタゴが多い印象ですが、こちらはそうじゃなくて…光圀公が参詣の折に「この木は何というもんじゃろうか」と自問し感嘆されたことから、クスノキながら「ナンジャモンジャ」の名で広まったということです。(神崎の大クスに関しては、過去記事にもあり→こはくらと巨樹巨木⑧~楠と椨|Motomi Kohakura)
弥彦の婆々杉
越後国一之宮・彌彦神社が鎮座しますのは、新潟県西蒲原郡弥彦村。
その彌彦神社の近くに、宝光院があります。いわゆる神宮寺(神社に付属して置かれた寺院。神仏習合説や神仏混淆思想のあらわれ)だろうかと。この宝光院の境内奥に立つのが、当地の鬼婆そして妙多羅天女にまつわる伝説から弥彦の婆々杉と呼ばれる杉の巨木。
樹齢約1000年という巨杉は、その昔弥彦に居り悪行を尽くした鬼婆が、この木の根元で高僧の説教を聞き「妙多羅天女」の称号を与えられ改心した、それからこの木に悪人を戒め更にはその骸や服を見せしめのために吊るした、と伝わるとのことで(サイト『にいがた観光ナビ』等を参照)。
過去記事「新潟に行ってきました|Motomi Kohakura」にて記載。
御仏供スギ
石川県白山市、吉野工芸の里。
そこに立つ巨杉は、太平洋側の杉に見慣れた人間には「本当に杉の木なのか…?」となります。
仏様に供える御飯・御仏供さまのように見えることからの名だそうです。なるほど、こんもり盛られた御仏飯を想像するのは凄く良く分かる。読みは「おぶくすぎ」ではなく「おぼけすぎ」。「おぶく」が「おぼく」と訛り、さらに「おぼけ」へと変化したものと考えられているのだとか。国指定天然記念物に相応しい風格です。
縦だけでなく、むしろ横により広がり伸びていく、日本海側のウラスギの一代表として「どうしても訪ねたい!」と行ってきました春でした…。マイカー・レンタカーでは心配ないのでしょうが、公共交通ではバスの本数が少なくて時間的制限が生じてしまい、なかなかハードル高く…白山比咩神社も金劔宮もお参り出来ず、「ここまで来ていながら…!」と傍をバスでスルーするしか無かった思い出(嗚呼)。
何百年、あるいは千年以上を生きてきた巨樹巨木も、いつか枯死・倒木により最期を迎える――かれらがそこに生き、時代を見届けてきたことを後世に伝える為なのでしょう、後継木を育て植樹することが各地で行われているようですが、こちらの御仏供スギにも初代から少し離れたところに小さな第二世が育っており、
「まだこんな小さいのに、側枝がどんどんと…」
既にウラスギの特徴を見せているかのような二代目を前に、涙が出る思いでした。
この記事のヘッダー画像は、初代と第二世の御仏供スギを一緒に収めた写真を加工しています。
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西日本の杉事情とは…
こうして改めて整理してみて気付いたのですけど、西日本の杉がほぼ無いなと…(汗)。
存在していないのではなく、ただただ自分が訪ねられてないだけの話ですが。
日本一の杉・杉の大杉(国指定特別天然記念物)は高知県ですし。
九州自体がある意味巨樹巨木王国なのですが、暖地性の樹種に交じって巨杉も多いんだよなぁーという印象は前々からあり。
本『神木探偵』<本田 不二雄 著>で、著者の本田さんは熊本県の広報誌に掲載されていた熊本県林業研究・研修センターの家入龍二氏によるコラム「森林物語」と題する記事を目にし、こんな驚くべき内容が書かれていたことを記していました。
「熊本におけるそれらの代表選手に『メアサ』というスギのさし木品種があります。とても長生きのスギで、樹齢800年を越えるような古木が大分県、宮崎県、鹿児島県そして熊本県の多くの神社にあります。
それらの老大樹を中心に、4県に分布する21ヶ所、43本のメアサのDNA鑑定を行ったところ、20ケ所(41本)が同じクローンであることがわかりました。つまり、メアサはある一本の樹から、さし木(おそらく)で増やされた遺伝子が全く同じ“分身”の集団だったのです。」
そして、それら”分身”がある場所は
熊本県小国町の阿弥陀杉、
宮崎県高千穂町天岩戸神社、高千穂神社、
鹿児島県霧島市鹿児島神宮、霧島神宮、
等であり(実際はもっと多数挙げられていたけれども一部を抜き書き;)、高千穂神社の秩父杉を手植えしたのは、源平の合戦に勝利した源氏の棟梁・源頼朝の名代で参詣した秩父庄司重忠こと畠山重忠と伝わっているのだと。
畠山重忠その人が約40本のクローン杉の全てを植えた、とは言い切れないけれども、樹齢と伝説による年代とはほぼ一致しているじゃないか、、と私でも分かります(爆)。
人は、木そのものを神としていたのか。神を宿らせるために御神木として木を植えたのか。
にわとりと卵の関係にも近いように思われます。
そして、それが巨樹巨木に惹かれる人が居る理由の一つでもあるように思います。