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もっと知られていい(と個人的に思う)人たち【江戸の芸術家編】
つぶやきに収まらないけど、そこまで長くない…中身は完全に独り言に近い話(予防線)
たぶん平成の頃から、これまであまり評価されてこなかった「江戸時代の奇想画家」が取り上げられて一気に知名度が上がってきたと思う。
若冲とか、その代表じゃないかと。
有名どころ・正統派の一方で、我が道を歩んだアーティストも存在したのが江戸時代。
私は世間の少数派なので(自分で言った)世間のトレンドからずれたところ、世間の人々が群がらない、ある意味ニッチに萌えを感じやすい体質です(自分で言った!)。
なので、もちろん超有名な広重・北斎・国芳なども好きだし尊敬する絵師であり、後年評価が高まった若冲や蘆雪らのような画家も良いのだけど、まだまだ知名度が低いであろう奇才アーティストが知られてほしい(願)
…まあニッチなので直ぐに多数の共感が得られるだとは思わないけれど(諦めから入る:自爆)
各地を旅しながら数多くの仏像を彫って残した僧と有名なのは、その作風も相まって先ずは円空の名が挙がるだろうと。円空はだいぶ前から相応に知られていたと感じますが(少なくても自分が学生だった三昔前でも見聞きすることはあった…円空仏の実物にお目にかかったのは、それから10年以上後だけど:自爆)、たぶん平成に入ってから木喰も美術に相応に関心ある人の中では認知度が上がっていったと思われます。円空仏・木喰仏は確か「美の壺」でも取り上げられたかと。
決して幸福に満ち溢れてはいなかった彼らの人生であり世の中ではあったろうけど、彼らは旅の中で幾多の佛を生み出しては各地に残していった。中には当地の子供たちの玩具となり擦り切れてしまったものもあり。けれども、それは「御仏はすぐ傍に在る」と、御堂の高いところにゐますだけが仏ではないという想いもあったのならば、作者としても悔いもなく「それでいい。いや、それがいい」だったんじゃないかと思う次第です。
美術界にも足跡を残した僧侶といえば、仙厓と白隠も忘れてはならない。
誰が見ても「これは上手い」という美しい絵を描いた画僧ではない(断言)。もしかしたら「誰にでも描けそうな絵」を描いた、しかしそれは彼らにしか描けないものだった――そういう意味で、これもまた鬼才だろうと。
どちらも禅宗のお坊さんですよね…禅宗といえば「公案」に関する書画も多く、鯰を瓢箪で押さえようとする男を描いた「瓢鯰図」などが知られますが、そういう公案すなわち禅僧が考える問いを簡潔だったりユルい筆致で描いたのが前述の二人の僧であり、その作品には複数の意味で吃驚する(しみじみ)。
超個人的主観では、仙厓は時に鋭すぎる風刺もありながら画風や筆致はとことんユルユルなんだけど。白隠の場合、脱力系が多いのではあるけど、ときどきマジな画があったりする。観音様を描いた絵がだいぶマジで「え、ほんとに同じ人が描いてるの?」と正直思ったんですよね(爆)。おそらく母親への思い、母親の姿が投影されているのだろう…と以前読んだ美術系の本の著者は書いてたと思うのだけど(書名は忘れたorz)、それなら本気つか真剣に「より美しく神々しく」と精神を傾けるかも…。
多分検索すると幾らでも出てくると思うので、百聞は一見にしかず的に是非ご覧いただきたい。。
そんな江戸時代アートの「ユルさ」と「多様性」を語るにあたり、絶対に外せない(と個人的に信じて疑わない)のが、耳鳥斎。この絵師こそ、もっと知られてほしい(切実)。昔はそれなりに知られていたらしいのだけど、昭和あたりで日本美術史から消されたといい(関西大学アジア・オープン・リサーチセンター ホームページ内「耳鳥斎」ページより)。
絵は実にユルい。だが筆さばきというかその描線の滑らかさやキレは素人画家や単なる趣味人の域を出ているし、何より絵の中身が風刺ききまくりで痛快ですらある(爆)。風刺なのに画風がユルいから、ふんわりしちゃう。これは狙ってるのか、たまたまなのか…気になってしまうくらい。
関連書籍の数が少なく高価なので、余計に世の中に広まらない(悲)。
(買うのはムリで居住地図書館にも無くて、でもダメモトで図書館窓口で相談したら「持ってる図書館がありますね」って相互貸借という形で借り読みできましたよ!某大学附属図書館から来ましたよ、『耳鳥斎アーカイヴス』!!:全て実話です)
と思っていたら、関西大学さんが特設ページを作ってくれてましたよ!
私としては、やはりお勧めは「新たな地獄」を描いた、風刺というスパイスがぶんぶん振り込まれた『別世界巻』。そもそも江戸時代にもなると地獄を本気で怖がる人口はだいぶ減ったともいわれ。だからこそ、撞けば現世では必ず富めるが死後必ず地獄に堕ちるという「無間の鐘」を、近隣はもとより遠方からも撞こうと人が押し寄せて、住職は鐘を古井戸に投げ込み埋めてしまった…との話になるんだろうと(これは「遠州七不思議」の一つ・無間の鐘の伝説であり、以前何かの本で読んだのを、ホームページ・浜松情報BOOKで内容確認をしました。遠州なので遠江すなわち静岡県西部、鐘があったとされるのが現在の掛川市、栗ヶ嶽の頂上にあったという観音寺での話のよう。その、私がこの伝説を知った本では「生活が苦しい民衆が救いを求めて…」というニュアンス強めで書かれていたのだけど、私としては「死んだ後の地獄なんて大して怖くもない、それより今が良いことが大事」という大衆心理の表れだとも感じたんですよね…)。
閑話休題。
こちらの絵巻に描かれた地獄も怖いというより滑稽であり「痛いとこ突くなぁ」という感じ。中でも、衆道好の地獄…衆道とは所謂男色であり、その廉で地獄に堕ちて罰を受けているはずなのに、逆に快感つか天国みたいな表情の罪人。罰を与えているほうの鬼も何だか楽しそうでもあり、うんとスパイシーだと思う。
ハマる人にはバスッとハマると思う!
活躍した≒作品が残る地域が限定的という意味で全国的に知られてないけど凄い人といえば、絵金や石川雲蝶もですね。
芸術家とはちょっと違うけど、地元という意味では飯塚伊賀七も加えたい。名主をつとめながら優れた数理の知識で数々の設計や発明をしており、布施弁天(千葉県柏市)の鐘楼は一般的なお寺の鐘楼とは非なる独自の造形美。設計もだけど、これを実現させた大工さんも素晴らしいと思う。
それを言うと、同じく機巧界に大きな業績を残している、田中久重(からくり儀右衛門:東芝TOSHIBAの創業者でもある)や大野弁吉も。からくり人形はメカニズムやそのパフォーマンスは無論のこと、止まった状態の見た目だけでも純粋に美しい。アンティークドールとかフランス人形と言われることもあるビスクドールと同様にビスクヘッドを用いた西洋からくり人形・オートマタが美麗なのは当然にしても(衣服も当時の流行ファッションの縮小版だったりして、頗るお洒落。マヌカン的立ち位置でもあったろう。アンティークドールの知識がある人ならば、「シモン&ハルビック、ブリュ、ジュモーのヘッドが使われたオートマタも存在する」と聞いたら「おぉー」ってなるんじゃないかなと)、なかなかどうして日本のからくり人形だって芸術品として見ても相当だと思うのですよ。
…と、まあ、思うままに書いてみたら結構長くなっていました(墓穴)。
あまり共感は得られないだろうけど(諦めから入り、諦めで終わる:自爆)、自分的にはお勧めです。。