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拙作語り⑳~『Secret Base』番外・2008年春
現代学園短編連作小説『Secret Base』、全文再掲は色々あって難しいのですが、比較的独立している箇所に関しては大丈夫かなと…。そこで、初代サイエンスクラブ顧問・岸浪教諭のその後を、恋人・与恵寄りの視点で描いた箇所を、「Mar-2008」「Apr-2008」から抜粋し再掲します。
こんな風な着地点とあいなりました。。
***
同、3月7日の昼下がり。合格発表の喧騒も去った、T波大キャンパスの旧第三学群棟の一角。
昼休みを終えて戻ってきた二十代半ばから後半ほどの女性に、五十過ぎの紳士が話しかける。
「やけに賑やかだと思ったが、今日は合格発表だったのか」
「ええ」
答える彼女がどこか嬉しげに見受けられて、
「何か良いことでもあったかね、天生くん」
「彼の教え子が、ここの工学システム学類に合格したって…メールがあって」
「彼?あのときの恩着せがましい応用理工学の学生か。高校教師になったとは以前君から聞いたが…」
「はい、おととしの春に」
「にしても、あのとき確か四年生だったはずだな?で、修士号をとってすぐ教員に採用された…。そして、教え子がこの春大学生か」
「そうなりますね」
「となると、かれこれもう五年になるか?君たちよく続いているね、妬けてしまうよ。私もあと二十歳ばかし若かったなら…」
天生くんと呼ばれた女性が、困ったように黙ってうつむく。
と、ドアをノックする音がして、三十やや手前ほどの青年が入ってくる。
「その発言はセクハラですよ、牧野先生」
「なんだ、伊藤くんか」
工学システム学類の情報工学系専攻、牧野教授室。同研究室の伊藤助手が現れたことで、牧野教授の秘書をしている天生与恵は少しほっとしたようだった。
「天生さんも、黙ってないでたまには言い返さないと」
「セクハラとは失礼だよ、伊藤くん。私はここでの天生くんの保護者だからね。良からぬ輩から護らねばならんのだよ」
自身には息子ばかりの牧野教授にとって、語学力も理工系の素養もあり、更に気立てもよく容貌も自分好みの与恵は、可愛くて仕方ない存在なのだった。
「それは分かりましたから、今度の学会の話をさせて下さい」
席を外したほうがいいと思い、与恵は教授室を後にする。
「天生くん、コーヒーお願い」
甘える調子で頼む教授の声が聞こえる。
「分かってますよ」
(Mar-2008 <2>3月7日~大学合格発表の日 より)
***
牧野教授に出すコーヒーを淹れながら、天生与恵は左手の薬指に嵌めたリングを見つめた。
*
遡れば昨年の秋、つくばね秀栄高校の文化祭を訪れたときのこと。
中学時代の仲良し三人組の一人がそこの卒業生なのだが、たまたま自分も直属の上司である牧野教授が学会で不在にするので休みを取らせてもらい、一緒に出掛けたのだった。
子供連れの由貴奈とは先に別れ、もう一人の友人・史織と二人、市内のカフェに入る。
史織は週3日だけ地元の行政法人で非常勤職員として働く、毎週金曜は休みのパート主婦。だからこそ、金曜日に開催された文化祭を見に来たわけなのだが。
「でも、ほんっと残念だな~。あんたを四年も掴んで離さないっていう、そのカレシがどんな男なのか見てみたかったんだけど」
言いながら、コーヒーに砂糖とクリームをドサッと入れて派手にかき回す。そんな彼女の様子に、与恵は偶然とはいえ竜起が理科室を留守にしていて良かったと思ってしまった。
つくばね秀栄高校の化学教諭・岸浪竜起。それが与恵の『カレシ』だった。着任二年目で新設されたサイエンスクラブの顧問となり、文化祭に向けて生徒たちと頑張っていたらしいので見てきたいと思っていたところで上司の出張と重なった…という訳だ。
「ねえ、クミ。もう四年でしょ?先のことって考えてるの?」
「先のことって…」
「あたしたち、再来年には三十路よ?大台突破すんの。分かってる?」
「そりゃ…分かってるけど」
四月生まれだから、同学年うちではいち早く歳をとってしまうことも、よく分かっているつもりだった。
「脈が無いようなら、他の男探すのも一つだと思うけどね。ま、結婚が全てだなんて今時言うことじゃないかもしれないけど、世間的・法律的にはまだまだだから」
「でも…彼はまだ就職して二年目だし、まだ二十六だし…」
「そっか。いま結婚の二文字を出すと『重い女』って思われるかもって不安なワケか」
「うん…まあ」
「別に、悪口とかじゃないよ。おせっかいだったか、ごめんね」
言うだけ言うと史織は話題を変え、カフェを出て彼女を最寄の駅まで送り、車から降ろすまでその件については触れなかったのだった。
確かに史織の言う通りで、与恵も今後を考えない訳ではなかった。だが、長いこと彼本人には言い出せないままだった。
それが、この春。彼のほうから話を切り出してきたのだった。
二十九歳―二十代最後の誕生日が近付き、彼に欲しいものを訊かれて「25周年イベントの始まったディズニーランドに、平日行きたい」と言ってみた。ちょうど彼の勤務先の創立記念日が近くにあったので、その日を選んだ。
「これ嵌めてみ」
帰り際、唐突に彼から小さな箱を渡された。開いてみて驚き、尋ねる。
「なに?これ…」
「とりあえず、サイズ合ってるかどうか確認してくれよ。ダメなら直しに出さなきゃならねーし」
「サイズって…」
「左手の薬指。それ、ゲーセンのプライズじゃないんだからな。いっちょまえにプラチナだし、4月の誕生石も小さいけど入ってる」
なおも戸惑っている彼女に、
「いい加減分かれよ。それは約束手形…本物はまた後でってことで」
「タッちゃん…」
「なんだかんだで五年だからな。お前、来年には三十だろ?二十代のうちにけじめは付けたいと思ってさ…」
そこで一呼吸おき、彼は続けて、
「ただし、コレを受け取ると今まで五年分以上の拘束がかかる。俺で本当にいいか、良く考えてからでも充分だぞ」
彼女は首を横に振り、
「ううん。ありがとう」
そして箱からリングを取り、指に嵌める。
「丁度いいみたい。でも、いつサイズを…」
「ほら、昔ゲーセンで取ったことあったろ?シルバーのリングばかり幾つも。そのときのことを思い出して」
同じようなプライズでも、サイズはまちまちなんだねえ…などと言いながら、二人シルバー925のファッションリングを色んな指に嵌めたり外したりしたものだった。
「あったね、そんなことも」
「…五年、だもんな」
初めて出会ったのは大学の図書分室。彼はまだ四年生だった。五年の間に彼は修士課程に進み修士号を取得、教員試験に合格し高校の化学教諭として採用され、教師三年目に入った。自分は相変わらず教授秘書という名の非常勤職員を続けている。
改めて、この五年間を思い返しながら帰途についた日だった。
*
「話には聞いたけど、その指輪…。本当だったんだね、天生さん」
コーヒーカップを手に、流しのある談話室を出て教授室に戻りかけた廊下ですれ違いざま声をかけられ、立ち止まって振り向く。
「伊藤くん」
今現在、牧野研究室の助手である伊藤顕仁。与恵がここで働き始めた当時は修士二年の学生だった。博士課程を終えてすぐ助手の席が空いたので、そこに納まったという経緯だ。彼女とは同学年にあたる。
「じゃあ、ここも辞めちゃうの?」
「いえ、まだ…」
彼女の返事に少しほっとしたように、
「結婚しても、続けてよ」
「あの…まだ結婚はしないの。だから、今当分辞めるつもりも無いし」
「そう。なら良かった。せめて、牧野先生が退官される来年の春まではここに居て」
「ええ、そのつもり。あつかましいけど」
「そんなことないって。君が来てから牧野先生、少しはまともに…おとなしくなったんだよ。あれでも」
「え?」
「君が居ない頃…2003年3月以前は、引きこもりとか鬱になりかける学生も居たくらいだからね、冗談ぬきで。俺も相当いじられたし」
「……」
「だから、俺からもよろしく頼むよ」
「はい…わたしでも役に立てるなら」
「ありがと」
教授室へ去っていく彼女の後姿を見送り、伊藤助手も歩き出す。
教授や助教授と違い、助手に専用の部屋は無く、学生と同じ居室に机がある。伊藤助手は、談話室や学生たちの居室の前を通り過ぎ、廊下の隅の喫煙スペースで足を止める。
煙草を一本取り出し、火を点けてふと思い返す。
秘書として雇われてきた同い年の彼女。興味を持つのに時間はかからなかったが、彼女のほうが素っ気なかった。異性に関心なんてないんだろうか、いや、「学生さん」よりも「社会人」のほうが好みなだけか…などと思っていたが、突然現れた他所の学生、しかも年下に持って行かれてしまった感じだった。
「図書分室のコピー機に、こんなものが」
その学生がやって来たとき、たまたま応対に出たのが自分だった。
ふうっと煙をくゆらせ、
(人の…男女の縁とは奇なるものらしいね)
来年には三十路になるし、自分も新しい恋を探そうか…などと思いつつ、天井を見上げた。
(Apr-2008=SIDE STORY <university campus>= より)
***
一つのハッピーエンドの裏に、こんなことが・・・という話。
あぁ、伊藤くん。。
そして…2003年時点でも充分すぎるほどブッとんでた牧野教授、それ以前は一体どんなだったのかと心配になる伊藤助手発言(切実)。
そして。いい話の後で何ですが(予防線)、一世一代のプロポーズ翌日の岸浪教諭の高校での様子というのが・・・
***
話が唐突で申し訳ないが、つくばね秀栄高校の創立記念日は4月15日である。新学期早々突然やってくる祝日だ。
創立記念日の翌日、疲労の色を隠さず第一理科室隣の準備室で机に突っ伏す岸浪教諭に、ななめ向かいの席から声をかけた者があった。
「だいぶお疲れのようね、岸浪先生」
「ええ、お疲れです…樋口先生」
地学教諭である樋口いすみは、今年女の大厄(三十三歳)を迎える奥様先生。だが小柄で童顔のため、実年齢よりだいぶ若く見られる。
「来年には三十路に突入するってのに年甲斐もなくミッキー教信者なお嬢様を朝から晩まで追いかけ続けて、某浦安のテーマパークを東奔西走ですよ?もう勘弁してくださいって感じです」
つまり、『誕生日プレゼント?25周年イベントの始まったディズニーランドに行きたい!もちろん平日に』という、恋人の希望を聞き入れた結果がこれなのだった。
「へえ…昨日はデートだったわけか。噂に聞く先生の彼女って年上なんだ。ちょっと意外」
「ま、年上と言っても二歳ですから。幼稚園や小学校ならいざ知らず、二十代三十代になれば誤差の範囲でしょ」
普段ならもっとガードが堅いはずだが、今日の岸浪教諭は本当に疲れている様子である。
「でも、先生しっかりしないと。生徒たちにイジられますよ?」
「分かってますって」
大きく肩で息をつき、岸浪教諭が立ち上がる。
「もう今日はさっさと帰ります」
「それが賢明でしょうね。先生、頑張れ!」
「応援ありがとうございます」
疲れた笑顔を残し、彼は教科書と名簿を抱え、理科準備室から出て行った。
*
その日の放課後。いつものように理科室に集まってきた部員たちに、フェルミ先生こと岸浪教諭は何の前触れも無く言う。
「一年生は揃って来てないか…ま、おあつらえ向きだな。黙って受け取って、すぐバッグにしまうこと。いいか?」
「…はあ」
訳が分からないなりにも、とりあえず返事をする生徒たちに、事務的にカラフルなプリントの半透明なポリのギフトバッグを押し付けていく。
「これは?」
「だから『黙って受け取れ』って言っただろ?」
「でも、これ…ディズニーランドのお土産ですよね?」
「先生、さては昨日行ったんですね?」
「質問にはお答えできません、あしからず。それから俺、今日はもう帰るんで。ここの戸締りは樋口先生が引き受けてくれたから、あんまり迷惑かけないように」
フェルミがそんなことを述べていると、不意にラザフォード=那由多の携帯が鳴った。
「…なんだろ?」
発信元を見て首をかしげつつ、電話に出る。
「あ…お久しぶりです。どうしました?…え?居ますけど…はい、分かりました…それじゃ、また」
電話を切り、教諭に告げる。
「先生。ハッブル先輩が、『お土産ありがとうございます。神足にも、ちゃんと渡しておきますから』ですって」
「ハッブルから!?さては…」
教諭は慌しく理科準備室へと去っていった。
「…どうしたんだろうね」
「さあ…」
*
「おい…」
『なに?』
「あいつらの分まで買ってたのかよ!?俺の目を盗んで…。しかも、俺の名前で渡すたあ、どういうつもりだ?」
『何か困ることでもあった?』
「買ったのはお前じゃないか。お前が自分で『わたしから』って言えばそれでいいだろ」
『でも…いきなり、わたしからお土産あげるってのも』
「同じ学類に居るからって、奴にちょっかい出すんじゃねーって。全く」
『妬いてるの?』
「なんで俺がやきもちなんて焼くんだよ」
サイエンスクラブOB・ハッブルこと飛鳥は、この春から近くの大学の学生となったが、実を言うと教諭の恋人は彼の在籍する学科の教員の一人・牧野教授の秘書をしている。
教諭とその恋人・与恵の電話でのやりとりをドア越しに盗み聞きしていた部員たちは、現在の状況とこれまでの背景とを大体理解したのであった。
(Apr-2008 <4> 疲れたお父さん より)
***
ちなみに、教諭が別の高校へ移った後の2009年文化祭の発表は、サイエンスクラブから教諭夫妻へのビデオレターという形をとりました。。