新人Vtuberの自己紹介
お初にお目にかかる。
此度Vtuberをはじめる大咬琥珀と申す者じゃ。
まず儂が何者という話だが、改めて端的に言えば神様だ。
狼というのは古来、山の神あるいはその遣いとして認知されておった。
とは言うても、儂の場合、そう畏まられるほど強大な存在ではない。権威ある偉大な神ではなく、小さな祠に祀られるばかりの低級神だ。式内社の神格に比べれば、羽虫のごときものと思ってもらってよい。
なんなら、数百年――あるいは千年を超えるかもしれぬが、悪神として封印されておったので、神とはいいつつあやかしに近い状態に零落しておる。
で、悪神とは申したが、別段、人を襲ったことはない。
悲しいことだが、我ら狼が善性と悪性の二面を見出されてきたのは自然の摂理だ。
狼が夜道をついてくるという『送り狼』の伝承にもみられるように、狼は人を守護することもあれば襲うこともある。同系統の民話ですら二極の性質が見られる。
これは、動物としての狼がもつ習性――なわばりを通る生き物を遠巻きに観察する行動に由来するのであろう。それを「見守ってくれている」ととるか「襲う機をうかがっている」ととるかで、善悪は容易に変わる。
さて、この送り狼のほかにも、狼伝承のパターンはたくさんある。
そのなかで狼の名称揺れは「おおかめ」「おほかみ」「やまいぬ」といったものが主要だが、ことに山奥を舞台とする物語では、「とらおうかみ」「虎狼」「ころうやかん」といった表現が見られる。
「やかん」は狐のことだ。本来はジャッカルを指すのだが、日本にはいないので狐に置き換わった。狐が狼と類似存在と見なされることがあったのは、感覚的にも理解できよう。イヌ科だし。
一方のトラも、このジャッカルと狐の関係に近しい。
日本にはトラが生息していないため、四足歩行の獰猛な獣ということで、狼に換わっていったようだ。ジャッカルと違って、知識としては知られていたので、狼と混同されたわけではないが。
何にせよ、日本における狼伝承は、トラと同質のものだった。
ゆえにこそ、儂の名たる「琥珀」にも虎の字が入っておる。
という話をしたいがためだけの長文でした。
こんな長く書くつもりもなくて、「最初はとりあえず名前から~」くらいの気持ちだったんじゃけどね……。
まぁこの悪癖で儂の性格はだいたい伝わるんじゃないかと思う。
さて、では改めて名乗ることにしよう。
儂の名は大咬琥珀。これは人界のならわしに沿った、いわば通名じゃな。
正式な名は大咬尾玖理三峯稲置琥珀(おおかみおくりみつみねのいなぎこはく)と申す。長いので覚える必要はなかろう。
性別はない。人が狼を見るときにあまり雄雌を気にすることはないから、儂も性別が曖昧な状態で形作られた。
年齢――これもはっきりしないというのが正直なところだ。
儂のような木っ端の動物神というものは、市井のイメージからじわじわと形成される。明確な『誕生』というものがない。
漠然とした自我は、今でいう奈良時代には芽生えておったと思う。ただ、人の形質を獲得するようになったのがいつなのかは、儂自身よくわからぬ。長らく悪神として封印されておった時期もあったので、儂の過ごした年月というのは非常に曖昧だ。
好きなこと、得意なこと。
これは、まぁ、ここまで読んでくださったならだいたいわかるじゃろ。
民俗学とかそういうのに強い。神話や妖怪、民話、祭祀といったものごとじゃな。陰陽道とか割と詳しかったり。
一方で、実を言えば西洋美術なども得意だったりする。
好きな芸術家を挙げると、シャヴァンヌ、シーレ、キリコ、ロスコ、ロベール、李禹煥、メーヘレンあたり。日本での知名度はいずれも微妙かもしれんが、多少なり美術に通じている人にとっては、ロベール以外は割と有名なんじゃなかろうか。
あとは科学もそれなりに案内のある分野だ。
細かいジャンルまで話すともう誰にも伝わらんような世界になってくるので割愛するが、物性テンソルの疑似的な可変制御だとか、オピオイド受容体が云々だとか、エナジーハーベストだとか、割と幅広めの分野に触れておる。
まぁ、要はいわゆる知識系Vtuberというジャンルにあたるのかもしれん。ただ、何が唯一無二の専門というわけでもなく、興味を持ったものはなんでも知りたい性格なだけだ。仕事で学んだ専門性ではないので、全部趣味に過ぎん話ではあるな。
反面、世間の好む話はぜんぜん知らんかったりする。野球選手とか大谷しか知らん。
このあたりは活動にも活かしていきたいので、デビュー後初のシリーズとして『狼が妖怪・神話を語りつくす大神』というシリーズを予定しておる。
日本神話や妖怪を題材にしたゲームとして有名な『大神』をプレイしながら、出てきたモチーフを解説しまくるつもりだ。
見るだけで神話や妖怪に詳しくなれるぞ。
次、外見の話。
儂は狼に由来する山神だ。狼の姿と人の姿を切り替えることができる。
狼の方が本来の姿であって、人の姿は仮初のもの。ワンピースでいえば「ヒトヒトの実を食べた狼が、基本的に人獣型で生活している」ということだ。
神である以上、姿かたちは民間のイメージに影響される部分はあるが――それでも、衣類くらいはある程度、己の意思で決められる。
髪のインナーカラーなんかは、名前の琥珀からイメージして己で染め上げたものだ。
一方、己の意思でどうにもならんのは、信仰にもとづく部分だ。
儂の祀られておった祠――時期によっては封印されておった祠でもあるが――には、ご神体として一枚の銅鏡が収められておった。おそらくは仿製鏡の一種であろう。
儂の腹に紐で固定されておる円形のが、それだ。
おそらく儂の山の信仰は古墳時代に遡るのだろう。青銅の鏡は、当時祭祀の道具であった。
ただ、古来の信仰がそのまま儂に引き継がれているわけでもあるまい。何らかの経緯で、信仰の『ガワ』だけが残り、そこに狼・山神信仰が入り込んだのだろう。
それから、前掛けのように垂れておる布に、漢字が書かれておるのがわかるだろうか。
これは封印の文言として祠に彫り込まれておった文句だ。
豺狼勿当路――「豺狼当路」という言葉を、「勿れ」と禁止している。
もとの漢文としては「豺狼当路安問狐狸」。
豺狼路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん――直訳で「狼が行く手を阻んでいるのに狐や狸を気にしていられるか」、意訳すれば「小悪党ばかりを取り締まるのでなく大悪人を処罰せよ」という故事成語だ。
その禁止形なのだから、要は「悪神が人の世に害をなすことを封じる」ニュアンスになる。
年月が経ってこの文言が風化し、封印も解けてきたわけだが、いまだ儂の神格を縛る鎖として機能しておるのは間違いない。
提灯が引っ提げられておるのは、夜道を往く人間に付き従う『送り狼』の伝承から転じた、夜道の案内役というニュアンスだろう。実際、儂の神としての仕事の一部には、山で迷った人間を里に送り返すというものがある。
古い話をたどれば、日本神話でも、狼が先導・案内するエピソードがある。あの狼は非常に高い神格を与えられたようでうらやましい限りだ。
犬という生き物は昔から日本人、とくに縄文系の人間にとってはよき友であった。狼は山犬とも呼ばれ、犬と近しいことは知られていたはずだ。
里の外、山の中にあって、里犬とよく似た存在。それは、危険な旅路で、一時のみ友となってくれる存在だったのやもしれぬ。
(余談だが、儂のこの仕事、こなしても「何もなかっただけ」なので信仰を集めることもない。一方で遭難者の報道があったりするとちょっぴり神格が落ちていくのでしんどい。儂の山じゃないのに。
それに、この業務だけが仕事であればよいのだが……人間世界の影響か、神界も昨今は業務の多角化が著しい。デスクワークも多い。予算も厳しい)
人間の皆さまにおかれては、夜の山道で何かが見守ってくれたと感じたら、そのあと塩をひとつまみ軒先に置いて、「ご苦労さん」と声をかけるとよい。
そして、彼らの『送り』が守護となるか襲撃の発端となるかは、人間の態度にかかっているのだ。古来から、塩と礼のふたつが、送り狼を山へ還すための儀式だった。
動物としてのニホンオオカミは絶滅したが、霊的存在としてはまだそこにいる。物語の中に残る、彼らとの付き合い方を、ぜひ心得ておいてほしい。
とくに塩は狼の好むものとして知られる。
例を挙げれば、「狼が狩った後に放置した獲物があれば、ほんの少しだけ肉をいただき、代わりに塩を置いて帰るとよい」なんて話も全国的に分布している。そうすると、狼が怒って追いかけてくることもないというのだ。
儂が人の姿もとれる以上、狼の信仰は単に動物神としての扱いのみではなく、山の民との交易が背景にあったのやもしれんな。つまりは、山の幸と海の幸――獣肉と塩の交換が、吾らの塩好きに繋がったということだ。
長くなってしもうたが、儂という神のことがなんとなくイメージできたかと思う。
これから気楽にお付き合いいただけると嬉しい。
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