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ヘヴィ
夏を連れ去った旅人は、何食わぬ顔をして祭壇から降りてそのまま去って行く。
人々は秋が来たと大喜びで笑いあっている。
一人の子供が秋が来たよーと大声で街の中を走り回ると、他の子供もそれに続いて走り回る。
子供たちが街の隅から隅まで走り回って秋の到来を告げる。
季節を巡らせるのは旅人だが、季節を知らせるのは旅人ではない。
それなのに人々は旅人を讃え、拝む。
季節を巡らせる。
今回の場合は秋を連れてきた、ということになるけれど、見方を変えれば旅人は夏を連れ去ったともいえるのに。
誰もそれについては何も言わない。
季節が連れ去られても人々は何も言わない。
ずっと同じ季節であることは悪であるかのように、季節が変わることを人々は願う。
そして旅人がそれを叶える。
でも考えたことはあるだろうか。
旅人が連れ去った季節がどうなったのかを。
きっとこの街の人は誰も考えたことなどないのだろう。
旅人を歓迎し、立ち去るのを悲しむ人々は考えたことはないに違いない。
旅人はその流派にもよるが、たいていの場合は連れ去った季節を自らの体内に吸収している。
旅人は季節を持ち運んでいる。
だから理論的には旅人はいつでも自在に季節を変えることができるのだ。
とはいっても旅人にも吸収してそのまま自分の力に変換できる季節とそうでない季節がある。
簡単にいうと相性だ。
相性の良い季節であれば吸収した後、力として変換し利用することができる。
相性の悪い季節だと吸収はできるのだが、力として変換することはできず体内でそれが消滅するのを待つのみだ。
もちろん、少しづつ体外に放出するということもできるが推奨はされていない。
仮に旅人全員がそんなことをしてしまったら、季節が逆戻りしてしまうからだ。
そうでなくとも自分の得意な力を最大限に放出すれば、その季節を呼ぶことができる。
旅人は、本当はとても危険な存在なのだ。
今はその善意によって世界は平穏であるけれど、いつでもそれは崩れる可能性があるということを人々は考えておかなければならない。
それなのに、と考えをまとめようとしたとき、私の左右を子供たちが笑いながら走り抜けていく。
秋が来た、と叫んでいる。
街の子供たちが走っていくのを、ぼんやりと眺める。
不意に心臓が強く握られるような感覚がおそってきて、強く目を瞑り歯を食いしばる。
先程連れ去った夏が、私の中から出ようと暴れている。
相性の悪い季節を体内に封じ込めながら、次の街へと徒歩で向かう。
なんて最悪な職業なんだろう、口には出さないが強くそう思う。
子供たちが走り去った方向とは別の道を、私は重い足取りで進んだ。