【白影荘の住人】バステト人-2/3
深夜。
203号室の扉が開いて鍵の閉まる音が聞こえると、僕は一分待ってからそっと玄関を開けて彼女の後を追う。
五メートル後ろからそっと後をつけているが、彼女が僕に気が付く気配はない。
夜道に彼女の足音だけが響く。
しばらくして音の種類がコンクリートのそれから変わった。
街灯からそっと顔を出して確認すると、どうやら彼女は公園に入っていったようだ。
僕は公園に一番近い街灯まで忍び寄ってそこから彼女を探す。
彼女はピラミッド型遊具の頂点に立っていた。
何をするつもりなのかと見ていると、どこからともなく猫がやって来るではないか。
よく見ると野良に交じって飼い猫も集まってきているようだ。
……猫端会議?
僕がそんなことを思っている間にピラミッド型遊具の周りは猫で埋め尽くされていて、その真ん中の頂点では彼女が背筋を伸ばして立っている。
彼女がスッと真上に左手の人差し指を向けると猫たちが一斉ににゃーにゃーと鳴き始めた。
どこからどう見ても異様な光景で、僕は少し後ずさる。
その時の地面がすれる音を猫たちは聞き逃さなかった。
猫たちが一斉にこちらに顔を向けたかと思うと、次の瞬間には街灯に照らされて反射する無数の目が僕に飛び掛かって来ていた。
「うわっ?!ちょ、痛い痛い!」
服の上からでも本気の攻撃はさすがに痛い。
無理やり引きはがそうにも猫たちを傷つけてしまうのではないかと思い、躊躇していると彼女の声が聞こえてきた。
「……え?ホウキさん、何やってるの?」
みんなやめて、と彼女が言うと猫たちは僕に攻撃するのを止めて少し離れるが、逃げ出さないように円陣を組んでこちらを窺っている。
「みんな、大丈夫。この人は私の知り合いだから。……それで、ホウキさんは何をしているの?」
「あ、いや。その……」
さすがに後をつけてました、なんてことは言えないので言葉が濁る。
「もしかして、私の後つけてました?」
そう聞かれてしまうと、僕は観念したように首を縦に振る。
彼女は怒るでも驚くでもなく、そうですかと短く言って公園のベンチの方に歩きだす。
猫たちもそれに続いて動き出す。
僕もその動きにつられて彼女についていき、二人でベンチに腰掛ける。
「ま、気になりますよね。夜な夜な隣人がどこかに出かけていたら」
「うん、だけど何も言わないで後をつけたのは間違いだったと反省してます。すみませんでした」
もういいよと言いながら膝に乗って来た猫を撫でる。
そして彼女の口から、どうして毎夜出かけていたのかが語られた。
要約すると、彼女はこのあたりの猫たちの見守り役兼相談役で、何か困っていることや最近の生活状況を聞くために毎夜出かけているとのことだった。
いやいやいや、なんだそれは。
猫の相談役って言っているけれど、猫の言葉なんてわかるわけないじゃないか。
「あの、クロガネさん……、猫の話を聞くってそんな」
「私は、バステト人だから猫の言葉がわかるの」
……仙人の次はバステト人ときましたか。
フリーズしかけている頭で、僕は次に何を聞くべきか必死に考えていた。
【バステト人 3/3へ続く】