
ヒト型
胸のあたりに空洞があるような感覚を持ったのは、小学生の頃だった。
中学、高校、大学へと変わっていくたびに、その空洞は大きくなっていくような気がした。
でも、大学を卒業して就職したときに、その感覚は間違いではなかったことを私は知る。
就職をして一年程経った頃のことは、今でも忘れることが出来ない。
胸の空洞が全身に広がって、私はクッキーのヒト型のような存在になっていた。
それは、急に発症した。
朝、歯を磨くために洗面台に行ったとき、その鏡には私の姿が。
顔が、
首が、
胸が、
肩が消えていた。
私を構成していた細胞の全てが、一夜にして消えてしまったのだ。
しかし細胞が消えたというのに思考……意識だけはそこに残っており、一体全体どういうことなのかと狼狽してしまったのを覚えている。
そして鏡には映っていないのに体の感覚は確かにそこに存在していたし、なんなら上司に電話もした。
電話の向こうで上司は、なれたように私に指示を出した。
まず、いつも通り出社するように言い、それから恐らく配属先が変わるのでデスクを片づけるようにとのことだった。
私は指示を受けた通りに出社し、デスクを整理した。
デスクの整理が終わったタイミングで別の部署の人が現れて、私を新しい配属先に案内したと思えばさっさと消えていく。
よくあることなのかは知らないが、その流れ作業のようなその行動に戸惑いと苛立ちを感じた。
ただそれは一瞬のことで、新しい上司が現れると驚きの感情に塗り替えられた。
上司もまた、私と同じクッキーのヒト型だった。
私は恐る恐るどういうことなのか、何が起こっているのかを訊いたが上司から満足な説明は得られなかった。
ただひとつ、注意事項として言われたことがある。
鏡に姿が映らないからといって、服を着ないとう選択は絶対にしないこと。
状況を全く飲み込めてはいなかったが、私は今でもその注意事項だけは守っている。
現在。
私はまだクッキーのヒト型のままで、鏡に姿が映らない。
そして、私の空洞は広がりきったというのに残されている型の部分。
つまりは縁どられている部分になるのだが、そこすら消してしまおうと広がり続けているのを感じている。
その縁すら消えてしまったら、私という存在は世界から視認されなくなってしまうのではないかと不安な日々を過ごしている。
でも上司曰く、その認識がまず間違いだという。
世界が私を認識できないのではなく、私が私を認識できていないのだ、と。
私はやはり、上司が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
今日も服を着て外に出る。
通勤途中の窓ガラスには、服だけが歩く姿が映っていた。