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ブラックメモリー


彼が悪魔になったのは、世界がその役目を彼に押し付けたからだ。

少なくとも彼を古くから知る友人はそう考えていた。

ただそれを周りに訴えたとしても誰ひとりとして信じる者はいない。

彼は悪魔なのだから。

人だった頃の彼について語っても意味がない。

耳を貸さない。

過ぎ去った日々を語られても現在の彼が悪魔なら悲しいかな意味をなさない。

たとえそれが世界から押し付けられた故の結果でも。




どうしたの

窓際で天気のすぐれない外を眺めていたら、彼女の声が側で聞こえた。

そして左の肩にほっそりとした手が添えられる。

また考えごとをしているの?

彼女をちらりと見てから、また窓の外に目を向ける。

太陽がぶあつい雲に隠れていて、とても薄暗い。

遠くの山の山頂も今日は見えない。

彼が悪魔になった日も似たような天気だったと思い出す。

……また、彼のことを考えているの?

目を閉じて、彼女の言葉を聞き流す。

今は何も聞きたくない。

そうなのね

彼のことを考えているのね

僕が何も言い返さないと彼女はいつもそう決めつける。

間違ってはいないが、少しだけ苛立ちが芽生える。

もう何十年も前のことじゃない

いい加減に忘れたらどうかしら

彼だってきっともう忘れているわよ

人だった頃の記憶なんて……

少しだけでいいから、静かにしていくれないかい

あなた

お願いだから静かにしていてくれ

彼女の言葉を遮ると、肩に置かれていた手は離れていった。

彼女が言うように彼はもう人であった頃のことなんて覚えていないだろう。

しかし、彼が覚えていなくとも僕が覚えている。

それに、忘れる事なんてできない。

彼が忘れたとしても、僕は忘れられない。

目を開いてもう一度窓の外を見る。

昔のことを思い出す。



あの日、僕は彼を見捨てたのだ。

あの頃の世界は生贄を必要としていた。

誰かが悪魔にならないといけなかった。

その役目は一見無作為に選ばれた者が負うことになっていたのだが、あれは仕組まれたものだった。

でなければどうして、高位の者達はその選考の中にいなかったのか。

どうして下位の者達ばかりがその最終選考まで残ったのか。

説明がつかない。

彼の家は確かに貧しかったけれど、彼は高位の者達よりも遥かに優れていたように思う。

学業も人との意思伝達も全て。

だからこそ彼が標的にされてしまったのかもしれない。

高位の者より優れることは許さない、そういうことだろう。

でもあの選考には僕も残っていた。

僕が悪魔になる可能性だってあったのだ。

でも僕は……彼にその役目を負わせた。

彼に押し付けて逃げた。

僕も他の者達と同じだ。

彼の優しさに、賢さに、全てに付け込んだ。

彼が甘んじて受け入れるであろうことを知っていて、押し付けて逃げた。

だから僕は彼の友人として、彼のことを忘れずにいることに決めたのだ。

たとえこれが、ものすごいエゴだったとしても。

僕が他の者と変わらない、卑しい人間だったとしても。



遠くの方に雷雲が見える。

ゆっくりとこちらへ近づいてきているように思う。

もしかするとこの家に雷が落ちるかもしれない。

落ちたらきっと発火するだろう。

そうしたら……僕は死ぬのか

不吉なことを言わないの

離れていたと思った彼女の声が近くでした。

視線を向けると、不機嫌に眉を寄せて僕を見下ろしていた。






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