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【白影荘の住人】挨拶回り-1/2

三月上旬。

まだ寒さの残るこの土地に引っ越してきたのは、春から始まる大学の為だった。

一年浪人したものの、何とか希望の大学に入ることが出来たのは親が見捨てずにサポートしてくれたおかげだと思っている。

そして僕は今、その親が見つけて契約した木造二階建てのアパート白影荘202号室の六畳のど真ん中で大の字に寝転んで天井を見つめていた。

『シロカゲ』ではなく『シラカゲ』って呼ぶのよ、と母さんが言っていたことをぼんやりと思い出す。

なぜ『シラカゲ』なのかは教えてくれなかったが、『シロカゲ』と呼ぶと災いが起こるから気を付けるようにと忠告されたっけ。

ごろんと右に転がると開けていない段ボールに目が付いた。

引っ越し業者が少ない荷物を搬入した後なので、まだ周りには開けていない段ボールや万年床になる予定の布団が放置されている。

「今日からは一人暮らしか」

僕以外誰もいない部屋でそう呟くと、体を起こして【挨拶用】と書かれた段ボールを引き寄せる。

ガムテープを丁重に剥がして、中にある引っ越し挨拶用の品を取り出して玄関へ向かう。

とりあえず隣から回っていけばいいか、と靴を履きながら考えて203号室を目指すことにした。


玄関のインターホンを鳴らすと、三十秒ほどしてから扉が開いた。

「だれ……」

女性の不機嫌な声。

ワンレンボブ前髪あり、その黒い髪の隙間から金色の瞳が見えた。

「あ、202号室に越してきたホウキと言います。引っ越し作業に伴いお騒がせ致しました。これから、よろしくお願い致します」

女性の醸し出すオーラに圧倒されつつも、よくある定型文を伝えてから粗品を差し出す。

「定型文、よく覚えたね」

風のように素っ気ない声でそう言われた。

「クロガネアカネ……よろしく」

粗品を受け取りながら彼女はそう名乗り終わると、もう用はないというように無言で扉を閉める。

203号室への挨拶が終わった瞬間だった。

挨拶回りなんてこんなものなのだろうか、とちょっと落ち込みながら僕は次に205号室へと向かう。

インターホンを押すと中から男の人がすぐに出てきた。

先程と同じように挨拶をする。

「こちらこそ、よろしくお願い致します」

落ち着いた声で言うと、お辞儀をしてからその人は粗品を受け取った。

「俺はザイショユウキ。存在の在に場所の所、有限の有に日記の記で、在所有記」

「なんだかすごい名前ですね」

「うん、よく言われる」

ふふっと控えめに笑う在所さんは、僕から見るとすごく大人の余裕を持った男の人だった。

この何とも形容しがたい大人の余裕というものは、僕がどんなに頑張っても手に入らない、すごく遠くにあるもののような気がした。

僕が呆けながら在所さんを見つめていると、ああそうだ、と何かを思い出したようで僕に告げる。

「これから下の階にも挨拶しに行くんだろう?だとしたら、102号室の煙夫人は最後に回った方がいいよ」

「?わかりました。そうします」

うん、それじゃあまたね、と粗品とともに軽く手を振って扉が閉まる。

煙夫人ってなんだろう?

頭をひねりながら僕は、一階に降りるために階段へと向かった。


【挨拶回り2/2へ続く】

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