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蝉が鳴くのは無駄なのか
日が暮れるまでの間、蝉に休みはないらしい。
クーラーをつけなくてもいい地域に住んでいる僕は、雨が降っているというのに窓を全開にしてその前に立っていた。
網戸をしていても窓辺には外から雨粒が入り込んできていて、その場を濡らしていた。
そして雨の音にかき消されることなく、僕の耳には蝉の鳴き声が入ってきている。
そもそもなんだってこんなに必死に蝉は鳴くのか。
小学生の頃に地元の図書館へ通い調べていたと思うが、その知識はもう僕の中から消えていた。
今になって考えると、なんてとんでもない時間の無駄遣いだろうと思う。
せっかく覚えたことでも、今、僕の中から消え去っているのでは全く持って意味がないことではないか。
きっとあの頃から数えても、もっと僕の中から消えたものはあるのだろう。
受験勉強で頭に詰め込んだ数々の学問の知識。
小中高の学友の名前。
当時人気だったゲームやマンガ。
もう会わなくなった親戚達。
当時埋めたタイムカプセル。
そのどれもが、もう僕の中には残っていない。
恐らく、今そんなことを考えているこの瞬間も後何十年かすれば忘れてしまうだろう。
僕の中から消え去って、戻ってはこない。
そして無駄な時間だったなどと思うのだろう。
ただ、僕の中からなくならないものもある。
そのひとつは、この考え方だ。
過ぎ去っていく時間の中で僕の中から消えてしまったものは、全て無駄で無意味。
この考え方を彼女は破滅的だと言っていたが、僕にはその意味が理解できなかった。
消えてしまうのは必要がなかったからで、必要がなかったということは無意味、無価値だったということではないか。
それを彼女に伝えたら、ため息一つ残して僕の前から消えていった。
人間関係の構築にも支障をきたすこの考え方だが、これはきっと僕の中から消えないだろう。
いい加減に窓を閉めて今年初の扇風機を稼働させようかと頭の隅で考える。
内窓を閉めるために手をかける。
外ではまだ雨が降り続いていて、蝉もまだ鳴き続けていた。