CRYAMYがいなくなって 01
カワノがCRYAMYの脱退を発表してから、2週間が経った。気が付けばこの文章を書き終えるまで、長い時間が流れてしまった。
心に穴が空く、という表現に共感したことはこれまで1度たりともなかったが、そうとしか形容できない感情に遂に巡り会ってしまった。産まれて初めて、どうしようもなく苦しい。
野音での3時間半でCRYAMYから受け取ったものを少しでも長く心に留めようと、予感していた終わりが来ようと耐えられるように覚悟を固めようと、以前はNoteに長々と言葉を残したが、結局大した意味はなかった。
途方もないやるせなさに襲われ、なんとなくまたこの文章を書き始めたが、きっとこんな事にもなんの意味も無い。
脱退の文章を読んだ時は、仕事終わりに友人に会いに向かう道中だった。過呼吸になり、吐き気がした。SNSを開くと、まるでお気に入りのアクセサリーを失くした程度の事のように悲しみを表明する短い文章が溢れかえっていて、尚更吐き気が加速したのを覚えている。
CRYAMYに出会ったのは、21歳の冬、O-EASTの狭いステージだった。悲しい事にその日カワノがステージで語った言葉を今ではほとんど覚えていないが、当時の自分の心の奥に刺さったのだろう、そこからライブに足繁く通うようになっていた。
何より、彼らの音楽は特殊であった。
これはあくまで本質ではなく、所詮彼らの魅力を構成する薄皮1枚の要素でしかないのだが、やはり金の匂いがしないという点は強烈だった。
うぶ声を上げた瞬間から資本主義社会に囲まれ、盲目的に自己利益を追求し、遂に自己嫌悪に耐えきれず嘔吐したのだ。商業主義に腐らされた芸術もどきは、もうたくさんだった。
いつしか、CRYAMYの音楽は確かに生活の核になっていた。
CRYAMYだけが自分にとっての音楽であった。
収集のつかない感情に襲われる度、縋るようにCRYAMYの曲を聴いていた。
盲目的な信仰は不純であり、またそもそも信仰と呼べるほど何かに体重を預けることがいかに危険であるかも重々承知であったが、どうやら俺は抗えていなかった。
彼らの音楽はどうしようもなく救いであった。
死にたい、と思ったことはこれまで一度もなかった。むしろ、自分の出会う人間にはどういう巡り合わせか生活に諦観を抱いている人間が多く、なんとか彼ら彼女らの力になろうと心を割いてきた。誰かの生きる意味になれたら、誰かの生活の支えになれたら、そんな事ばかり考えていた。当然俺は聖人君主などではなく、そのどれもが究極は自分の為であったのだが、一方で、本当に他人の為に何かができるのではないか、という純粋な自惚れを抱いていたのもまた事実であった。
そんな中、どうして彼らの音楽が救いにならない事があるだろうか。いや、むしろ自惚れを失ってからの方が彼らの音楽は心に刺さりもしたのだが。
とにかく、彼らの音楽さえあれば大丈夫だと、心から信じていた。
ギロチンが、完璧な国が、HEVENが、月面旅行が、プラネタリウムが、そして何より、テリトリアルと世界があれば。
しかし、遂に何より恐れていた瞬間がやってきてしまった。
カワノが脱退を発表してからというもの、悲哀だとか、悔恨だとか、諦観だとか、憎悪だとか、そういう類のネガティブな感情に心を支配され、遂に彼らの音楽がかつてのように心の奥底に響かなくなってしまった。
自分の青春時代はここで幕を閉じたのだ、そう考えざるを得ないところまで追い込まれてしまった。
どうしたものか。暗闇でランプを失くしてしまったら、どうやって歩き続ければいいだろうか。
立ち尽くすことも、自暴自棄になって走り回るのも、きっと正解じゃないということだけは分かる。
とにかく、長生きするのだ。
今は、それしかない。