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大人としての責任

前回いつ行ったのか思いだせないほど久しぶりの映画館。

仕事を休んで観たい映画があった。

「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」

30半ばの年齢となる世間では「おっさん」の僕はなかなか恥ずかしくて観にいくことができなかった。

レイトショーに挑戦しようと思ったけれどチケット窓口の行列を見て「欅坂の映画 大人1枚」と言う勇気が出せず、後悔を噛み締めながら帰路に着いたのは2週間ほど前。

平日の昼間ならば地方の映画館にはそれほど人はいないのではないか、と思って目的地まで車を走らせる。

思った通り窓口には誰も並んでおらず、暇そうな窓口の男性にチケットの購入を告げる。

「僕たちの嘘と真実 1枚お願いします。」

「欅坂ですね。」気だるそうに言われて恥ずかしさがこみ上げてくる。

上映時間ギリギリまで外で時間を潰し、照明の落とされた館内にこっそりと

入り、一番奥の真ん中にある自分の席に腰を下ろす。

やっぱり平日の地方映画館。観客は自分も含めて4人しかいないようだ。

いくつかの映画の予告編はなんだったかあまり覚えていない。

そして本編が始まった。

2019年の紅白歌合戦でたまたま見かけた欅坂46。

その時に初めて観て目が離せなくなった平手友梨奈を追いかけ始めてから今日に至るまでの9ヶ月弱、僕はくまなく動画を探しては見たし、「ロックが好きなオレ」に自己陶酔していた自分からしたら恥ずかしくて誰にも言えない「アイドル」と呼ばれるグループのブルーレイディスクも3つほど買った。ライブの臨場感を知りたくてプロジェクターまで買ってしまった。外出もなかなかしづらい今年、自分にとってはすごく濃い9ヶ月間だったと思う。

ファンとなって約1ヶ月後に聞いた彼女の脱退宣言は「にわかファン」の僕にとっては衝撃というほどのものはなかったけれど、追いかけ続ける中で喪失感は日に日に大きくなったように思う。

そんなこともあって、おっさんがしょうもない勇気を振り絞って、でもわくわくしていた映画本編。観終わった後はなんとも言えない気持ちになり、今は感情のままに書き綴っている。

作中で監督がTAKAHIROに問いかけていた(一字一句までは思い出せないけれど) 

「大人としての責任」

ずっしり重く感じられて、それがなんとも言えない気持ちの要因になっているのだと思う。

年齢だけを見れば立派な大人として分類される僕は、欅坂46のメンバーではなく、その裏方の大人たちの方に自分の気持ちを投影させて観ていたように思う。

観る人によって捉え方は様々であるとは思うけれど、僕は

「’’必死に頑張っている彼女たち’’を操る大人たち」という作品に見えてしまった。

明るくて健気だった平手友梨奈の顔がどんどんと曇りだし、陰りを見せていく様子を観ていることが辛い。

2019年東京ドーム最終公演の裏側に迫った映像では、とても舞台に出られるような精神状態ではなく見えた彼女を大人たちが無理やりステージに担ぎ出す。担ぎ出された「操り人形」は操り人形としての役割を全うする。

このシーンは観ていてとても辛かった。これが「大人として」あるべき姿なのか。

その一方で、自分が不快に思う大人たちの仕事によって、彼女、そして彼女たちの素晴らしいパフォーマンスを見ることが出来たのも事実。

どう表現していいのかわからないけれどすごく辛い。

割り切ることが、残酷になれることが「大人になる」ということなのか、と中二病のような気持ちになる。この作品で自分が捉えた大人になることはとても難しい。


後は自分の備忘録

平手友梨奈にいつも寄り添っているように見えた石森虹花

二人セゾンMVにおいてソロで撮影されていた平手友梨奈に対して涙を流しながら見ていた小林由依

黒い羊MV撮影終了後、なかなか起き上がることの出来ない平手友梨奈に駆け寄るメンバーの中、駆け寄ってはいたけれど一人立ち尽くして、その様子を観ていた鈴本美愉

それぞれのシーンでの彼女たちはどのような心境だったのだろう。

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