土着的なコ・デザイン-人間とモノのアッサンブラージュ〈前編〉
コンセントでは、2023年度から「ひらくデザインリサーチ」という活動を実施している。有志メンバーが集まり、自分の興味や関心をベースに問いを立ち上げ、探索するためのデザインリサーチプログラムで、「土着」「工夫」「余裕」という3つのテーマに分かれて活動している。
土着チームは、「土着的なコ・デザインのエコシステムを複眼的に捉える」というテーマで、会津でのフィールドワークを実施した。調査にあたっては、「複眼的」という名の通り、メンバーそれぞれが事前に独自の「問い」を立て、それぞれの視点からフィールドワークでの気付きを解釈するようなアプローチをとった。同じフィールドを複数の異なるレンズを通して見てみることで、「土着とは何か?」を多面的に捉えようという試みである。このマガジンでは、リサーチャーそれぞれの気づきを個別の記事として随時配信していく。
「なごみの灯り」の衝撃
前置きとしては少々長くなるが、まずは「土着的なコ・デザイン」に興味を持つきっかけとなったエピソードから書き始めたい。
2年ほど前に、兵庫県豊岡市でフィールドワークをする機会があり、竹野浜というエリアを訪れた。竹野浜は豊岡市北部の日本海に面したエリアで、夏になるとたくさんの海水浴客で賑わう観光名所でもある。ここで見つけた「なごみの灯り」が、「土着的なコ・デザイン」を考えるきっかけとなった。
「なごみの灯り」は、竹野海岸に流れ着いた流木と和紙で作られた手作りの行灯のような素朴な照明である。竹野浜エリアを歩いていると、民家の軒先や、レストランの入り口、公民館など、至るところで、さまざまな色や大きさの「なごみの灯り」を見かけることができる。元々は、地域おこしの一環で、地元の商工会女性部のお母さん達が考案したものだそうだ。
竹野海岸からほど近いところに、「なごみてぇ」という地域コミュニティの拠点があり、フィールドワークではここにも立ち寄った。手前はちょっとしたカフェスペースになっており、奥の座敷では、地元のお母さんたちが日々いろいろなものをつくっている。「なごみの灯り」も主にはここでつくられ、販売もされている。
驚いたのは、フィールドワークで訪れた際には、場所としての「なごみてぇ」が先にあって、そこで「なごみの灯り」が生まれたのかなとなんとなく思っていたのだが、実際の時系列としては逆で、「なごみの灯り」が先に考案され、それをつくるための拠点として「なごみてぇ」がつくられたのだと言う。この一連のエピソードを聞いた時に、「なんてよくできたデザインなんだ!」と衝撃を受けた。
まず、プロダクトとしての意匠に注目すると、「なごみの灯り」は四面体のミニマムな形をしている。これは構造体として成り立つ最小単位であると同時に、誰でもつくりやすいという利点がある。「なごみの灯り」をメインでつくっているのは商工会のお母さんたちだが、観光客を対象にしたワークショップを開催したり、小学校に出張して灯りづくりなどをしており、日々たくさんの人の手によってさまざまな作品が生み出されている。初心者でも、レクチャーを受ければだいたい1〜2時間で作れるそうだ。素材が自然の流木なので、当然大きさや形もまちまちだが、この素材と貼り合わせる和紙の組み合わせによってバリエーションが生まれ、一つ一つの作品に個性が出る。
このシンプルな四面体は、はじめから「みんなでつくる」ことを前提にしたデザインなのだ。
次に、「なごみの灯り」の素材になっている流木の背景には、「日役(ひやく)」という制度がある。日役とは、簡単に言うと集落の住民が定期的に行う共同作業のことだ。白川郷の合掌造りを支える「結(ゆい)」などは有名だが、この呼び方は地域によってさまざまで、豊岡では「日役」と呼ばれている。日役の作業内容は、田んぼの畦道の整備、ゴミ拾いなど、地域によってさまざまだが、竹野浜エリアでは、海岸に流れ着くゴミの回収が日役の一部として行われている。
このような共同作業は、古くから山林、田んぼ、川などのいわゆる「コモンズ(共有地)」を維持管理するための共助のしくみとして受け継がれてきたものだが、近年、この制度は日本各地で失われつつある。集落の過疎化や高齢化、ライフスタイルの多様化により、担い手を確保するのが年々難しくなっているのだ。「なごみの灯り」は、灯りをつくるという体験を通して、「日役」という制度の重要性を観光客や若い世代に伝える媒介にもなっている。
こうした連関を考えると、「なごみの灯り」は廃材を活用した単なるアップサイクル商品と言うだけでは片づけられない。みんなでつくる参加型のプロセスでもあり、地域住民のコミュニケーションを促し、関係人口を増やすためのメディアでもあり、街の風景を彩るランドスケープでもある。しかも、この非常によくできたコ・デザインを生み出しているのは、驚くべきことに、専門的なデザイナーではなく、地元の商工会のお母さんたちなのだ。
こんなコ・デザインの取り組みが、おそらく日本各地、いや、世界中の至るところで日夜行われているのかもしれない、と想像すると、「デザイナー」の職能や役割を改めて問われている気がした。こうした「土着的なコ・デザイン」はどういうエコシステムによって生まれてくるのだろうか? そして、そのエコシステムに対して、我々のような「専門家」としてのデザイナーはどのように関与すべきなのだろうか?
これが、「土着的なコ・デザイン」を考えるきっかけとなった。
「庭師」としてのデザイナー
「土着的なコ・デザイン」を考える上で、もう一つ気になっていたのが、ブライアン・イーノのこの言葉だ。
これは、スウェーデンのイノベーションラボであるVinnovaのダン・ヒル氏(当時)が、ブライアン・イーノ氏とのコラボレーションによってまとめた「Design Principles for the street(ストリートのためのデザイン原則)」の1つめの項目として書かれているものだ。
「建築家」と「庭師」の違いについては以前も別の記事で書いたので、詳細は割愛するが、その後も考察を重ねてアップデートし、今のところ自分の中では下記のように整理している。
私自身、大学ではデザイン工学系で建築を学んできたバックグラウンドもあり、「庭師としてのデザイナー」という概念はここ2、3年ずっとひっかかっていた。さまざまな分野の知識を学ぶ中で、概念的には一応上記のような整理に落ち着いているが、先ほど挙げた「なごみの灯り」の衝撃もあり、実際に「庭師」的なデザイナー(必ずしも専門的な職業デザイナーとは限らない)が、「土着的なコ・デザイン」の現場でどのようなふるまいをしているのか、この目で確かめてみたいという気持ちもあり、今回のフィールドワークに臨むことになった。
以上、前置きがだいぶ長くなってしまったので、フィールドワークの詳しい内容については後編で紹介する。(後編へつづく)