あなたをこえたくて
ときどき、競争心をむき出しに行動してきた。
思い出すのは大学受験のとき。
あの頃は試験をゲーム感覚で捉えていた。
やりたいことが特にない高校生だった自分にとって、大学受験はただ目の前にある「タスク」でしかなかった。
進学校に通っていたこともあり、周囲に流されるように試験勉強を本格的に始めた。
周りの友人たちが予備校に通い出す中、私は若さゆえの反抗心から、予備校というものを受け入れられなかった。
私立高校に高い授業料を払っているのに、なぜそんなものに通わなければいけないのか。
予備校に頼らず、参考書を使って独学で受験を乗り切る道を選んだ。
「試験で点を取る」というわかりやすく結果が数字となる世界は、私の性格に合っていたのだろう。
高3の時点で学習を本格化させた結果、成績は飛躍的に伸びていった。
あの感覚は気分が良かった。
模擬試験で、予備校に通っている友人たちよりも高い点数を取るたびに感じた優越感。
今思えば、幼稚だった。
自分が不利な立場にいるとき、すなわち「追う立場」にあるときは、他人との競争心をモチベーションに変えやすい。
しかし、モチベーションの源泉が外部に依存している限りは、いつか限界がくる。
社会人になったときも、20代の頃は同じだった。
先輩に負けたくない、同期よりも頭一つ抜けた存在でありたい。
そんな気持ちで仕事をしていた時期がある。
結局、競争もプライドも、自分が生み出した幻想にすぎないのだということを、今では理解している。
一定のレベルまでは、仮想敵を設定し、自分の行動を鼓舞することは有効だ。
だが、その先には何もない。
さらに進むためには、自分で「次のステージ」を作らなければならない。
何を目的に行動しているのか。
大学受験でいえば、何のために高得点を取りたいのか。
その先に何をしたいのか。
こうしたビジョンがないと、次のステップで必ず苦しむことになる。
私自身、大学入学後はしばらく「燃え尽き症候群」に悩まされた。
当たり前だ。大学で特にやりたいこともなく、ただ周囲との競争に乗せられて受験というゲームに参加していただけなのだから。
さらに、絶対に勝てない相手、というのも存在する。
そのうち、そういう存在が自分の前に必ず立ち塞がる。
他人との比較を基準としている限り、いつかそのような壁とぶつかり、苦しむことになる。
自分が絶対的な勝者となり続けることは、まず有り得ないと思ったほうがいい。
ある程度のところまでは、競争心をうまく利用することは悪くない。
しかし、長期的なビジョンを併せ持たない限り、やがてモチベーションは枯渇する。
本当に向き合うべき相手は、他人ではなく「自分自身」なんだと思う。