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寒い冬にダッフル・コート着た君と 原宿あたり風を切って歩いてる
マガジンハウスのつくる雑誌には人を変える特別な力があると思っている。
高校三年生のころ。わたしはそのころ、(おそらくそのくらいの年齢の女の子の多くと同様に)自分や、自分の趣味、好みにアイデンティティが欲しくて、いつも何かを探していた。本屋に並ぶどの雑誌をめくってみても見つからない。どんなモデルのスタイル本をながめても見つからない。外国の映画の中も、少女漫画の中も探したけれど、それは見つからなかった。
………きっかけが何だったかは最早おもいだせない。そんな風にして「自分の裏付けになってくれる何か」をずっと探していたある日、わたしはこの記事をみつけた。
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=1129
それは、金沢の21世紀美術館で、oliveという、今はもうない雑誌のバックナンバーの展示を行うという記事だった。30年ほど前、マガジンハウスがolive という雑誌をつくっていたこと。それは当時の私の年齢くらいの女の子たちにたくさんの映画や音楽や本を教えてくれる、バイブルのような雑誌であったこと。今現在活躍しているクリエイターの中にもoliveを読んで育った人がたくさんいること……この記事を読んだだけで、「oliveという雑誌の中にこそ、私が探していた何かを見つけられるかもしれない」とはっきり悟った。
そして2012年の6月17日、受験生だったわたしは午前中に塾の講習をうけたあと普通列車に2時間ほど揺られ金沢まで出て(金沢はいまとなっては慣れ親しんだ街だけど、あの頃の私にはまだまだ少しドキドキする遠出だった)そして金沢駅からバスに乗って21世紀美術館へむかった。「雑誌oliveのクリエイティビティ展」を見るために。
21世紀美術館の中のショップ横の小さな一角、そこにはoliveの創刊から廃刊にいたるまでのバックナンバーのほぼすべてがずらりと並んでいて、わたしは自由にそれを手に取って読むことが出来た。
わたしの直観は、あたっていた。それどころか期待以上だった。わたしはこの雑誌に書いてあることを吸収して、それをじぶんの後ろ盾にすれば、大丈夫だ、と確信した。3時間ほど立ちっぱなしで次から次へと手に取っていった。
衝撃的でさえある特集もいくつかあった。「セクシーとは何か」を問う号には、生卵の写真がおおきく載っていた。しつこいようだけど中学生、高校生の女の子が読む雑誌、で、生卵の写真一枚でエロスとは何かを説こうとするのだ。
「はだかのオリーブ」という特集の表紙には、上半身裸で、ふくらみかけた胸をさらしながらくしゃっと笑って見せるそばかすの女の子たちが並んでいた。素肌にシャツを羽織る心地よさを感じてみない?と誘うテキストには男性の目線が一切介在しておらず、自分の体は自分のもの、どう使っても自由だという強い意志さえ伝わってきた。
(oliveのバックナンバーは、雑誌専門の古書店などをよく探せば今でも購入できるが、特に人気の高かった号など現在では市場にまったく出回らない号もある。わたしも東京に出てから幾度も神保町のmagnifに足を運んだし、我が家にはいま、端がすりきれ、古書らしい匂いをたたえたoliveが20冊ほどある。だけど21世紀美術館でわたしを雷のように打ったこれらの号にはいまだに出会えていない。)
と、まあこんな風にしてoliveという雑誌を知り、薫陶を受け、「olive的な精神」(一応書いておくと、それはフランス映画を好みオザケンをきいて蚤の市でお気に入りのブローチをみつけて…とかそういう’’oliveが推奨することをまねる’’ということではなく……たとえば、oliveが古今東西の様々な文化の大海への入り口の扉の場所だけ教えてくれて、あとは自分で勇気をもってその大海にとびこみ、つかみとる、と言ったほうがしっくりくる その修行を終えたのちこそフランス映画もオザケンの音楽も蚤の市も、単なるアクセサリーではなくわたしのこころからの好みになった)を身に着けたわたしは、それ以前より格段にしっかりと且つ楽に生きられるようになった。「どんな女の子になりたいのか」「自分の理想とは」「目指すべきところとは」とかそういうことで迷わずに済むようになった。(それは楽にまねできる理想像が見つかったからというより、oliveによる修行を経て’悩むよりやるが易し、早し’の姿勢が身についたから)
そういうわけで私は、雑誌そのものの力や可能性を信じている。oliveという、すごい、すごい雑誌をつくった出版社であるマガジンハウスの力もずっと信じている。
そんなふうにして少女時代をすごし無事(?)22歳になった私にとってBRUTUSは、愛するマガジンハウスの看板雑誌だ。ほかのカルチャー誌にはない独特の権威、幅広い年齢に対するステータス、そういうものが常にあるように思う。私の周りにいる、カルチャー(音楽、映画、美術館、漫才、落語、建築、旅、コーヒー、写真とかそういうの)を常に貪欲に吸収しようとしている友人たち、とりわけ男子大学生には、BRUTUSの言うことはなかなか影響力がある。
そんな雑誌が、平凡を誌面で復刊させてジャニーズを特集するというのを、今日のお昼にツイッターで知った。わたしは用事で表参道に来ていて、道を歩いている最中だった。
好きなものと、好きなものが、繋がった!最強のタッグ!わたしはダッフルコートは着てなかったし一人でいたけれど、今日も寒かったし、原宿あたりを風を切りながら歩いてたから、頭の中ではオザケンが鳴り響く。
http://magazineworld.jp/brutus/brutus-next-840/
これは余談だけど、多分世の全ジャニオタに「あなたは何歳からジャニオタですか」という調査をとってその平均年齢を出したらわたしは結構上のほうに来るんじゃないかとおもっている。21歳でとつぜんポッとジャニーズの魅力にはまったわたしは、同時に「ジャニーズは所詮おんな、こどもの楽しみでしかない」ととらえる人が世間には沢山いるということも、そのとき初めて当事者意識として実感させられた。
だから、ほかでもないBRUTUSが2017年にジャニーズの特集をすることが本当にうれしい。言葉はすこし汚いかもしれないけれど、ジャニーズを他のカルチャーと比べて下にみてスカしてるひとたちは、BRUTUSに載るジャニーズを見てガツンと一発殴られるがいい。そのくらいに、今わくわくしている。