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ラ・ラ・ランド感想

ララランド。映画の感想書くのってあまり慣れてないのであれなんだけど…

とにかく最後のシーン…女優として成功したミアと旦那さんが偶然セブの営むジャズバーにたどり着くシーンで突然ぽろぽろと泣いてしまった。

お客さんとして偶然やってきたミアの前でセブのピアノの独奏が始まると同時に「ミアとセブがもしお別れせずにパートナーとしてその後の人生を歩み続けていたら、いっしょに成功して、一緒にパリにもって、子供を産んで、家庭を築いていたら…」のパラレルワールドのシーンがはじまるのだけど、ミアの脳内のパラレルワールドはとにかく綺麗で、 キラキラしていて、おとぎ話のようだった。もしずっとセブとパートナーでいたならば、こんな風に生きていたかなぁ、という世界。 だけどそのifの想像はきっぱりと終わった。セブのピアノの演奏の最後の一音と同時に。 そしてミアは旦那さんと共に立ち去る。去り際にセブと、ほんの瞬間、見つめ合い、そして少しだけ微笑んで、あっさりと帰って行く。

すごいハッピーエンドだな、とおもった。

これは紛れもないボーイミーツガールのお話なんだけど、ボーイとガールはうまくいかなかった。お別れをした。別の人と生きることを選んだ。それなのに、これは紛れもなくハッピーエンドだ とおもった。 添い遂げない、という形でのハッピーエンド。

生きていれば当然これまでもこの先もたくさんの人と出会うことになるけれど、その全員とずーっと関係を結び続けることはできない。不可能だ。 キャパシティ的にも倫理的にも。

だけど、例えば男女の関係にかぎれば、最終的にいっしょになり夫婦になりその人の人生のなかに入って共に過ごすことだけが その人に対する最大の貢献ではない。それだけが正しいゴールではない。

場合によってはそれは言い訳に聞こえるかもしれない。逃げの理由になってしまうのかもしれない。

けれどラ・ラ・ランドはその辺りを美しく正当化してくれた。べつにいまわたしに差し迫って決断しなきゃいけないこととか整理しなきゃいけない人間関係があるわけではないけれど、でもまぁ何はさておき大人になって真摯に生きて、今もしくはこの先出会う人の人生に良いインパクトを残し、なんらかの寄与ができたらいいなーと そう思った。

#ララランド



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