
2024年、創り手としてこれに喰らった
EIGHT-JAM 坂本龍一特集
1年を5つの衝撃で振り返ろうと決めて、真っ先に出てきたのが「EIGHT-JAM 坂本龍一特集」。2024年1番の衝撃は何かと問われたら迷いなくこれ。アーティストから質問に対する、坂本龍一の回答に痺れました。
Q:オリジナルの音楽と、映画音楽を作る時の心境の変化や、作り方の違いはありますか?
A:自分の音楽は自分のため、というか自分が作りたいものを作っているだけです。映画は完全に人のためです。監督のためであり、製作者のためであり、聴衆のためであり、映画会社のためです。ですから、全くスタンスは違います。とはいえ、一度作り始めると、音楽家としての自我が出てきてしまうので、結果的に作ったものが自分自身のための音楽と似たようなものができてしまうことはあります。それが監督が必要としているものと合わないということはよくあります。どんなに仲の良い人間でも2人いれば意見がドンピシャに合うということはありません。コラボレーションなどの場合でもそうです。ましてや映画音楽の場合、雇われている身ですから、監督や映画会社の意向に従うしかない。それがいやなら降りるしかないのです。ですからこれまでに何度も何度も嫌な思いはしています。とは言え、作った音楽は、オリジナルの場合も映画のためのものの場合も、どちらも自分の音楽ではあります。
「大前提、他者のために作っている。けど、自分の色がでちゃうんだよね。」というスタンス。メチャクチャによい。建築のデザインと向き合う中で、「作家性」とか「自分らしさ」という言葉に出会うたびに、モヤついた気持ちが湧いていたけど、なるほど。「作家性」や「自分らしさ」ってものは出すものではなく、滲み出るものなんだな。
漫才過剰考察 - 高比良くるま
「楽しむはずの客席に学問を与えたら教室にかわっちゃうだろうが」って言葉が刺さった。エンタメをエンタメとして成立させ続けるにはどうしたら良いのか?という問いは、社会と広い接続を保つ上で重要なことだと思う。建築業界からの語りは教室的なことが多いけれど、業界へのあたりが強い今こそ、教室的ではない建築の伝え方が必要なんだと思う。
AOAO SAPPORO
札幌を訪れた際に隙間時間でふらっと訪れて衝撃をうけたのが、都市型水族館のAOAO SAPPORO。ペンギの周りで勉強をしている学生や仕事をしているサラリーマンがいて、TSUTAYAモデルはこんな形で展開できるのかと脱帽。過ごすことを価値に据えるビジネスモデルも挑戦的だし、建築の魅力を社会に還元する方法の1つとして目から鱗。
LOST CORNER AR LIVE in HARAKADO
いままでVRやARをディグったことがなく、知識が少なくピンときたことがなかったけど、これは、あーすげえや。って見入ってました。興味を引いた理由の言語化がまだだけど、スケールの異なるものが入り乱れてることや、複数の視点から描かれていることで、没入感を感じれたところにミソがある気がしてる。
LIGHT CYCLES KYOTO
チームラボが切り開いた、光や音楽を使った没入型コンテンツの次の展開はこの感じであって欲しい。制御された技術とアンコントーラブルな自然が組み合わせることで、演出から環境になりつつあったのが嬉しかった。LOST CORNER AR LIVE in HARAKADOもそうだけど、デジタル技術と空間の連動は、また一歩進捗していて、今後数年間で展示会場を飛び出して、生活に近い場所でこの手のコンテンツがグッと増えていくと面白い。
いいなと思ったら応援しよう!
