見出し画像

社会人3年目 ”燃え尽き症候群からの再生”



最初にお読みください

こんな自分語りな文章にを見ていただき、ありがとうございます。

このnoteは、じぶん情熱大陸をイメージして作成しました。

わたしは何かを大成したわけでも、人に何か伝える能力が高いわけでもない、旅行好きなごく普通の会社員です。

そんなやつでも、自分の力で楽しく生きる道をつくり、社会で役に立つ存在になれるヒントをお伝えできればうれしいです。

こんな人におすすめ

周囲の人間やチームを想うが故に自分を力を押さえ込んでしまう方…その優しさは力に変えられます。

ストイックに自分の意志で状況を変えようとしているけどうまくいかな方…うまくいかないのは自分の意志の問題ではないかもしれないと希望を持てます。

自分はうまくいっていて、クヨクヨ悩んでいる人の理由がわからない方…お前そんな女々しかったのかと笑い飛ばせます。

さてさて、ここからは回想録的に自分のこれまでを書き綴ったので、それでも大丈夫だよという方は読み進めてください。

社会人3年目、壁にぶつかる


病室からの風景

社会人になってから3年目の秋、1、2年目のようにガムシャラに何も考えずに目の前の仕事をしてきたところから、全体像を俯瞰しながら、仕事ができるようになり始めた時期。
とはいえ、できるというほど上手くいってるわけでもなく、暗礁に乗り上げ悲鳴をあげそうだったプロジェクトもあったが、なんとか軌道修正し、常に「こんちくしょー、負けないぞ」と思いながら、踏ん張ったプロジェクトがひと段落した頃だった。自分の中で大きな壁を乗り越え、自信がついたと同時に次は何をやろうかと考え始めていた時期でもある。
後々気づくが、ここが自分の中での燃え尽き症候群の一歩目を歩み始めていたタイミングでもあった。

想定外の休暇

そんななか、身内への骨髄提供手術をする機会があり、2週間ほど会社を休むこととなった。
GWや年末年始をではない、なんもない平日に会社を2週間休めると思ってなくて(とても色々な方に調整を協力してもらったのだけど)、自分としては想定外の休息期間となった。
術後は思った以上に身体が動かなくて、病室の天井や窓の外から見える景色を眺めながら、ひたすらに将来について考える時間となった。

入院を機に長く携わっていたプロジェクトも離れ、次はどんなことをやろうかとぼーっと考えていた。

「関東圏の案件が多かったから、次は地方案件がいいだろうか」
「大手ばかりだったから、中小企業がいいだろうか」

などの思考が頭をぐるぐるとしていたが、それは現職の中でやりたいことを模索するに過ぎない、小さな枠の中での思考だった。
その枠組みが自分には少し窮屈で、どれもピンとこず、どんどんと自分のエネルギーが下がっていくのを感じた。思考の負のループに陥ってしまったのか、何に対してもやる気がなく、予定外の長い休みをきっかけに、いわゆる燃え尽き症候群になってしまったようだった。

数年ぶりに友人たちと出会い直し

そんな中、身体の調子も取り戻し、年明けから友人に会う機会が多くなった。
かれこれ5、6年前に知り合った友人たちと久しぶりに出会う機会があり、みんなで恵方巻きを食べたりたわいのない時間を過ごした。彼らは自分の想いに従って生き、仕事をしていて、そんな友人たちと夕食を囲むだけで、自分の心の中に築き上げてきた常識の城が徐々に崩れていくのを感じた。
また、そんな時にコーチングスクールの運営に4、5年ぶりに参加し、自分の人生を生きようとする人々に携わる機会を得た。

これをきっかけに友人たちとごはんを作って食べることにはまってる

やりたいことが見つかる

コーチングスクールはたった2日間の開催だったのけど、参加者の皆さんが確実に変化していくのを感じる機会だった。僕自身もコーチング提供者として参加だったけど、未来へのインスピレーションをもらう機会となった。
そこで未来に向けて決めたことが2つあった。
(提供者側だったこともあり、受講者に負けないよぞ!という意図もあって)

カメラとコーチングをプロとして提供しようというものだ。
カメラは会社の部長にひょんなことから一眼をもらったのをきっかけに撮り始め、趣味と言えるほど触ってもいなかったが、もうちょっと上手くなりたなぁとは漠然と思っていた。
そんな大した理由があったわけではないけど、「えいやっ!」という気持ちでカメラのプロスクールに通うことに決め、2ヶ月後には本格的な機材やmacbookなどをそろえ、4月からプロカメラマンの道にスタートした。
同時期にコーチングスクールにも通い始め、カメラとコーチングを合わせれば、大学院2年通う分くらいの投資をした。
(同時期にこんなにお金使ったの初めてで、内心汗かきまくりだった。ひゃーっ!w)

限られた時間の中で会う人考え始めた

4月、5月は本業にカメラにコーチングにと、記憶にないほど忙しかったが、悩む要素がなく、常にエネルギー高く過ごせ、とても充実した日々だった。

一方で、物理的な時間の使い方が一変し、これまで「会おー」と言われて断ることは少なかったが、お断りすることが増えていった。そんななか、4年連れ添ったパートナーとも別れた。

色々お断りする中で気づいたのは、僕は自分を頼ってくれるなら頑張ることが優しさだと思っていたことだ。だけど、その優しさは本当にやりたいことなのかといえばそうではなく、孤独になりたくなかったから演じていたものだったと気づいた。
誰かに貢献していれば、優しくあれば、繋がりは担保されると思っていたのだった。


ういうお断りをすることが初めからスムーズだったかと聞かれれば、決してそうではない。何度も心抉られるような選択をしては、「自分この道に進むんだ」と自分を奮い立たせていた。でもそれを継続できた一番の理由は、自分の数歩先をゆく友人たちが周りにいて、何度も話を聞いて貰ったからだ人は意志だけでは変わらないけど、環境が変えてくれると実感した出来事でもあった。

父と本音で向き合う


自分が少しずつ自分のパワーを取り戻す中で、
「人には優しくし、自分が強くあってはいけない」
「強くあれば、誰かを傷つけしまう」
というメンタルモデルに向き合う時が来た。
このメンタルモデルに直観的に気づいたのはかれこれ4、5年前だった気がするけど、今回はコーチングのプロセスとして構造的の捉え直し、今の自分が向き合うべきものだと感じたから、そのきっかけとなった父と本音の対話をすることに決めた。

高校時代に自分が留学に行きたいと思い、その話を家族の前でしたところ、何の理由もなく、父から強く否定されたと思ったのをきっかけに、いつの間にか父には自分の本音を話しづらくなっていた。
だけど本当は、父と夢の話からくだらない些細なことまで、なんでも話せる関係を望んでいたので、今回メンタルモデルに向き合うことをきっかけに父との本音の対話をしてみた。

当日スムーズに話せたかと言えば、まったくそうではなかった。正直父との本音の対話の最中は声だけでなく身体までカタカタと震えていた。そのくらい自分の本音を話すことによってフラッシュバックするものに身体が反応していたのだと思う。
だがそこは腹を決め、前もって準備していた内容を話した。解決策ではなく、自分が当時感じていた感情(自分の不平不満とも違う)、本当はこうしてほしかったという期待、今回これを話して臨む意図をNVC的アプローチで伝えることを大事にして、対話した。

結果は自分の想定のはるか先をゆく、いい対話となった。
とにかく父の表現の不器用さゆえに感じ取れてなかった大きな愛を感じる時間だった。
その後の二人の関係性は言うまでもなく変化していったのだが、簡単にその後のエピソードを記載すると
祖父、父、僕の3人で飯を飲みにいき、父と祖父の関係性のハブに僕がなる機会があった。
じいちゃんからは「息子とこんなに話したのは初めてかもしれない」という言葉を聞き、僕と父のように関係性の変わるきっかけを提供できたのかもしれないととても嬉しく感じた(これはまたどこかで書けるといいな)。
また、父からも自分の関わるイベントにも行こーかとなり、圧倒的に関わる機会が増えた。
(大小問わずそんなエピソードがありすぎてここには書ききれない)

制限していたパワーを解放できるようになった

そんな父との対話を通して「自分のパワーを解放したら、誰かを傷つけてしまうのかもしれない」そんな思い込みはまやかしだったと気づいた。
それからは自分のパワーを解放していくと、たくさんの出会いに恵まれた。
こうやって生きたいと決意したタイミングで自分のインスピレーションであり続けてくれる友人に出会えたり、4、5年前から自分が素敵だなぁと思っていた人とプロジェクトを一緒にすることができたり、想定外の収入的変化もあったり。
また、これまでの友人からも変化を感じてもらい、ただご飯を食べて話していただけなのに、カメラやコーチングをお願いされる機会が増えた。

数ヶ月前には夢だったことが叶い始めた

今年の6月にカメラのプロ審査に合格したり、一年間コーチングスクール後に提供できたらなと思っていたコーチングの申し込みがあったりした。
そして、コーチングとカメラを組み合わせた、自分の器を広げる写真撮影まで依頼が来た。
(またどこかで書きたいけど、コーチング&撮影は内面的な変化を物理的にも残すことで、自分のありたい姿を思い出すお守りになるからとてもいいのよねぇ。)
自分取り組んできた新しい技術とこれまで積み上げてきた(5年前はカウンセラーとして個人事業主活動をしていて)サービスが、つながっていくのを感じた。

夢が叶ったその先へ

正直今年の2月のどん底時期から願った夢は叶ってしまった。
コーチングもカメラもサービスとして提供できた。
新しい出会いもあり、未来の仲間にも出会い始めた。
だけど、今でもふとした瞬間にスイッチが切れて、あーだこーだと悩む自分もいる。(2月の時点では本当どん底だったので、それほどではないけど)

この人生を変えるきっかけは自分の意志ではどうにもならないというところからスタートした。
なので、自分がやる状況になれる環境を整えることから大事にし始めた。
(カメラスクールやコーチングスクールや会う人々を変えることで環境を整えた、そいえば引越しもしたね)

多分これからも僕は「これをやりたい!」→「うおー大変だー!でも楽しいー!」→「なんか叶っちゃったな、ひま、、次何しよ、辛いかも。。。」を繰り返す気がしている。

でも、大丈夫、マジで何のために生きたらいいんだろうって思った日々から、こんなに素敵な出会いがあったんだから、安心して進んでいったらいいと今なら思う。

人は自分の意志だけでは変わらない。
自分が理想とする環境に身を置き、適切な人と関わり、適切な行動をしたときに初めて変わる。
それを実行した時、いつの間にか負のループを抜け出し、自分の理想の未来に対して正のループが生まれ、仲間でき、環境が変わり、機会が生まれるのだと思う。

別に大した話をしたいわけじゃない。夢に向かってがんばろーぜってタイプでもないし。でも、休日は大好きな音楽と大好きなご飯に囲まれてベッドの上でボッーっとするてことを叶えるのにも大事な要素だと思ってる。
(実際にやりたかった夢で、僕自信がやってることw)

そうやって、自分の大なり小なり持ってる夢を叶えるエッセンスを理解し始めたから、次はそのエッセンスが必要な人に写真とコーチングを通して届けられたらなと思う。

最後に

さてさて、こんな読みづらい文章をここまで読んでくれた方は相当な変わりもんだ(ほとんどいない)と思うので、ぜひ感想を教えてくださいね。
この内容に共感する方がいるなら、ぜひ一緒に何かやっていきたいなと思ってます。

🔸カメラマンページ
https://lovegraph.me/photographers/kohakao

🔸インスタグラム(初めましての人はDMいただけると嬉しいです)
https://www.instagram.com/koh_kokoro88/

いいなと思ったら応援しよう!