僕は昔、自助グループをしていた
正確な時期やグループ名は特定できるので一応伏せるがFTMのみの自助グループをしていた。
リーダーの友人がGID学会や関東圏の医療情報、海外のGID情報などを九州へ持って来てくれ、僕ら友人数名で行政施設を借りたり、込み入った話の時はカラオケボックスを借りたりして、その時々の状況でやり方を変え、集まる当事者へ情報提供した。
完全ボランティアで、むしろ手出しもあった。それでもよかった。僕たちは自分達が医療機関に弾かれ、しんどい思いをしてきた事や、地方の情報の少なさから生きづらさを感じてる声が聞こえる度に「なんとか生きて!」と「ここに同じ気持ちの人達がおるよ!」と伝われば良かったんだ。
多い時は20名近い当事者がどこかからの情報で知り集まった。
ある時は僕自身の手術の流れを写真付きで配布した。またある時は新聞から取材を受け、誠心誠意世の中へ伝えた。海外からも日本の情報が知りたいと僕らは情報をまとめたり、最後には僕の戸籍訂正のコピーさえも渡していた。
世界にもたくさん戦っている人達がいた。
一生懸命だった。ひとりでも多く気持ちが楽になればと何度も話し合った。
特例法の為に活動してくださる方々との合同交流会でたくさんの方々に会ってまわった。僕個人では地元の当事者の会の手伝いで地元議員へのお願いを働きかけた。
そして特例法が施行され社会の流れがガラリと変わるのを感じた。
連日のニュース、肯定的な意見。
僕は国が法律を作った事で「変態ではない」という「証明」を得た気持ちだった。もちろん家族もそんな気持ちだった。
その肯定的な社会の空気に僕らの役目は終わったと思った。もう情報は容易く手に入るはずだから。
医療はガイドラインがあり、その先は戸籍の性別訂正ができる。もう、ネット検索すれば答えがある。自助グループはもういらない。
だから僕らは解散した。
今でもリーダーが言った言葉が忘れられない。
「これからは自分達の人生を生きよう」
あれから僕らはそれぞれ自由に生きてる。そして40代になって落ち着いた僕たちはたまにこの時の事を懐かしむ。激動の時だった事でリーダーは僕らを「戦友」と呼ぶ。
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