目的の為なら「女」を「装」う事も厭わなかった
僕は高校卒業(1998年)してすぐの3月後半からの半月弱、福岡の繁華街の中洲でホステスをしていた。
未成年の僕は年齢を詐称してクラブに入った。化粧も女性用のドレスも、なんならブラジャーさえない僕を採用したママは今思えばとんでもないお人よしか、若い子がどうしても欲しかったのか。
会員制のクラブで、僕が配属された所は少し若めの40代のお客様が多く、ママ曰く「初々しさがウリになる」らしかった。
数日、マナーや化粧を教わる。お酒の注ぎ方、火のつけ方ひとつ教えてもらう。表に出てすぐ僕にお客様がついた。僕は呑める方で、色気がない分、呑むのとカラオケに力を入れていた。そのカラオケでお客様が気に入ってくれたのだ。
そのお客様(Tさん)がほぼ毎日同伴やアフターを入れてくれた。僕はこの意味を知らずに(ママからは仕事だからと教わっている)受ける。自然と慣れ親しんだ雰囲気になる。気を許した僕は家を出て初めてTさんにカミングアウトした。すると「お前オナベか!」と言われ「オナベがあんなとこ働かんやろが〜」と。
僕がなぜ中洲でホステスをしようとしたのか。
14歳の時、深夜のローカル番組でオナベの人をテレビでみた。声も変わり、髭も生えて、どこをみても男。どうしたら声が変わる?なんで髭って生えてくると?その人は「気持ちの持ち方だ!」とかなんとか言っていた。
その店の名前と住所をメモし、その店がある福岡市内へ引っ越す。これが高校卒業するまでの原動力になった。
携帯もない、ネットもない、情報もない。孤独だった。同級生に話しても誰も理解できない。どれだけ必死かなんて誰にも伝わらない。
大事にオナベの店を書いたメモを、親にも見られない様に持ち歩いていた。
高校卒業して3月半ばに引越した。その足でその店まで歩いた。土地勘もない、地図と街区表示版を頼りに探した。しかし、もうそこにはなかった。
違う名前の店があり、僕の希望は途絶えた。
しかし、止まっていられない。
他にオナベの店の情報もわからない。そんな時中洲の求人広告みて、破格の時給の高さと情報収集に賭けた。
この中洲にいれば絶対繋がる。
僕は今まで嫌悪していたスカートを自ら履き、あれだけ嫌がった本名を源氏名にして表にでた。
18歳の知恵もツテも何もないひとりぼっちの僕には、こんなやり方しか思いつかなかった。
Tさんは僕がカミングアウトしてすぐ、オナベの店を教えてくれた。その店はすぐ近くにあった。店を知るともう出勤するのが嫌になった。Tさんに店を辞めたい事、オナベの店に行って話が聞きたいことを話すと、店には「未成年」だと言い解雇。そしてオナベの店に1人で行った。
ここまでが、情報もない、仲間もいない1人で走った数週間。今思えば短い期間だが、当時はとてもとても長く感じた。
ただ、この選択をしなければTさんに出会う事もなく、オナベの店を早くに探しあてる事もなかったと、(いつかは見つけるかもしれないが)人生に無駄な事はひとつもないと思いたい。