(047) 対面することの暴力性:オンライン授業のすがすがしさについて
斎藤環の「人は人と出会うべきなのか」というこの記事は、人と人が出会うこと、その場に居合わせること、ライブであること、face-to-faceで話すことを「臨場性」と名付けて、その意味について書いている。
まとめれば次の三点になる。
(1) 人と人が出会うとき、それがどれほど平和的な出会いであっても、自我は他者からの侵襲を受けるので、臨場性は一種の「暴力」である。
(2) 他者の暴力が不在であるとき、私は快適にひきこもれる。その代わり、やる気とか気合はわかない。つまり、臨場性は一種の「欲望」である。
(3) オンラインでは完結できない関係(性関係、治療関係、師弟関係、家族関係など)がある。つまり、臨場性は「関係」である。
オンラインによる接触には臨場性(つまり関係性)がない。関係性よりもコミュニケーションが意味を持つ領域では、臨場性を捨象するほうが効率化されるため、オンラインで完結できる。この意味で、関係性とコミュニケーション(情報の伝達)はまったくの別物である。
…………
確かに、Zoomで授業やゼミをやっていると臨場性がない。そこでは、自分の顔がタイルの1つに収まるか、話し手としてハイライトされるかのどちらかなのである。タイルになっていれば、聞き手の1人であるし、ハイライトされていれば、話し手として情報を提供している。それ以外には何もない。立場の上下とか、ドミナントかサブかとか、主流とか反主流とかの関係性がない。そうした関係性はたいてい、座る場所とか姿勢とかに現れるのだけど、タイルの中ではそれを表現できないし、タイルの位置もスクリーンの中でランダムなのだ。
それがすがすがしい。オンライン教育のすがすがしさは臨場性の不在のおかげだ。そんなことを以下に書いてみたい。
・対面で会うことは常に関係性を強める
ここ何ヶ月かの引きこもりオンライン生活で感じたことは、対人関係の希薄化だ。まあ、実際に人に会っていないのだから当然のことなのだが。で、それはオンラインでのメッセージのやり取りやZoomでのリモート会議で埋められるのかといえば、そんなことはない。コミュニケーションはオンラインで十分だ。むしろ、これまで発信しなかった人が発信したりといった意外な展開もある。
でも、それはコミュニケーションレベルの話であり、関係性は強まることはない。逆にみれば、関係性が弱くなっているからこそ、これまで発信しなかったとこを発信できる環境になったのだとも言える。
これまで気軽に人に会ってきたけれども、それはコミュニケーションのためというよりは、関係性を強める方向に進むだけなのだ。それはいい方にも、悪い方にも進むのだけれども、明らかなことは、関係性を強めたいと思う人が会うことを企画するということだ。それがある種の暴力性になる可能性(侵襲性)をいつでもはらんでいる。
・教室の暴力性は臨場性の応用
こんなふうに考えることはエキセントリックすぎると思う人もいるかもしれない。そういう人は、一種の思考実験だと思ってみればいい。
対面することの臨場性あるところ暴力性があると考えれば、教室や職場の暴力性という考え方に慣れることができる。教室の暴力性というのは、教室にいて人に囲まれていれば、「そうしないわけにはいかない」ということが起こるということだ。職場も同じことで、そこにいれば「そうしないわけにはいかない」という力が常に働いている。
それは、教室における規律とか、職場の規範という名前で呼ばれたりするわけだけれども、どういう名前で呼ぼうとも、それが強制力として働いている。自らが判断してそれに従っていれば強制とはいえないのではないかという考え方もある。しかし、いずれにしても判断しなくてはならないという強制力が働くのである。
教室で私語をしていると叱られるのは規律を破っているからだ。逆に、それさえ守って教室にいれば履修したと認定される。これを「形式履修主義」と呼んでおく。これは臨場性の応用なのだ。
・オンライン教育は非暴力的である
一方で、オンライン教育は非暴力的である。最初に述べたように、Zoomでは、自分が聞き手の1人としてタイルの1つに収まるか、1人の話し手としてハイライトされるかのどちらかとして存在することになる。それ以外の関係性はすべて捨象される。だから権威主義的で(暴力的な)教員はやりにくいだろう。スクリーン上のタイル同士の関係では、教員も学生も対等だからだ。
その上で、学生は、私語をしていても叱られない(ミュートしているので聞こえない)。何か別のことをしていてもわからない。飲み食いしても大丈夫。だから(というべきか)、オンライン参加しただけでは履修したと認められない(だって「規律」がないから)。その代わりに、何か課題をだして、その成果が求められるのである。これを「学習成果主義」と呼んでおく。これは臨場性をあえて使わない教育の特徴である。
臨場性教育からオンライン教育への移行は、実は「形式履修主義」から「学習成果主義」への移行なのである。これを誰にも気づかれないように進めていきたい。
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