「テニスのコーチから学ぶこと」5本(2017年4〜5月のnote記事より)
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今回は、2017年4〜5月のnote記事から、「テニスのコーチから学ぶこと」5本をまとめてお届けします。
01 お金を払えば自分の自由にして良いという考え方の人は、コーチや先生につくべきではありません。
02 手出しボールで打つ。シナリオで打つ。ゲームで活用する。構造化されたプログラム。
03 手加減しないことの意味。
04 Nothing Ballを出さない。美しく意味のあるラリーの始まり。
05 ラケットを道具にすること。道具と一体化すること。
01 お金を払えば自分の自由にして良いという考え方の人は、コーチや先生につくべきではありません。
もう10年ほど近くのテニススクールに通っています。「教える」ことが自分の仕事である私にとって、テニスをコーチに「習う」体験は、自分の教え方を考える上でも貴重な材料になっています。
テニスのルールはとてもシンプルです。ボールをワンバウンド以内で打ち合って、ネットを越えて相手のコート内に入れればいいのです。しかし、その打ち方にバリエーションがあります。コーチによると「42種類の打ち方がある」と言います(コーチのジョークかもしれません)。
スクールに行ってコーチに学ぶということはつまるところ、この42種類の打ち方をマスターするということに他なりません。ボールのスピード、回転、バウンドする位置によって、柔軟に打ち方を選択できるレパートリーがあることが「上達する」ということなのです。
コーチにつかずに仲間内だけでやっている人が上達しないのは、自分にとって一番楽な打ち方しかしないからです。そうするとレパートリーは広がらずそこで固定します。時間つぶしや単なる社交のためにやるのはいいと思いますが、上達するという最も素晴らしい楽しみは望めません。
何かを「習う・学ぶ」ということは、自分のレパートリーを増やすことです。そのためにお金を払ってコーチや先生につくわけです。なのにコーチや先生のいうことを聞かない人が多いのにも驚かされます。そういう人はきっと「お金を払えば、私の自由にしていいんだ」という考えなのだと思います。
そういう人は、お金を払うということはコーチや先生へのリスペクトであること、そしてコーチや先生についたらその人の教えに従う義務が発生するということを理解していないのです。お金を払えば自分の自由にして良いという考え方の人は、コーチや先生につくべきではありません。自分一人でやれば良いのです。お金もかかりません。
02 手出しボールで打つ。シナリオで打つ。ゲームで活用する。構造化されたプログラム。
前回は、テニススクールのコーチについて「習う」ことの意味について書きました。今回はテニスコーチの「構造化された教え方」について書きたいと思います。
テニススクールのレッスン時間はどこでもだいたい同じだと思いますが、90分です。この90分間の間にどんなことをするのかというプログラムを考えるのがコーチの仕事の中心部分です。
典型的なのはこんなプログラムです。
1. ショートラリーによるウォームアップ
2. スマッシュの練習
3. ボレー&ストロークの練習
4. サービスの練習
5. ダブルス形式練習
6. ゲーム
このレッスン全体は構造化されていません。つまり、1から6までのプログラムはただ並べられているだけで、相互の関連性がまったくないか、弱いものです。つまり順番を入れ替えても問題がない。このようなプログラムでやると、構造がない寄せ集めのレッスンになります。運動にはなるでしょうが、何か新しいことを習得するチャンスはあまりない。
一方で、あるコーチのプログラムは特色があります。
1. 思いっきり打たせてウォームアップ
2. その日のテーマの打ち方を手出しボールで練習
3. その日のテーマの打ち方をシナリオで練習
4. その日のテーマの打ち方をゲームで使わせる
一見してわかるのは「その日のテーマ」があることです。そのテーマの打ち方をレッスンの中で一貫して練習する。たとえば、「バックハンドの決めボレー」とか「頭を抜かれたロブを低く返球する」といった打ち方がテーマになります。
決められたテーマの打ち方は、手出しボールでまず練習します。手出しボールで、体の動かし方とラケットの振り方を習得します。
十分動き方を理解したら、次はシナリオで練習します。たとえば、一回スマッシュを打ち、次にロブが上がって頭を抜かれたら、下がって低い返球をする、というような短いシナリオです。これによって手出しではわからなかった実際のボールスピードで練習することができます。
最後はその打ち方をゲームで使うことです。ゲームの前にテーマの打ち方をゲームの中でできるだけ使うように指示されます。ある場合は、それを使ってポイントを決めたら2倍の点数にするというようなボーナスが与えられます。このことによって習得した新しい打ち方を実際のゲームで使おうという動機づけがされます。すべての打ち方がゲームで生かされることが練習の最終ゴールです。
このようなレッスンプログラムを「構造化されている」と呼びます。構造化されたプログラムは何か新しいことを習得するための強力なデザインです。
03 手加減しないことの意味。
前回はテニスコーチの「構造化された教え方」について書きました。今回は「手加減しないことの意味」について書きたいと思います。
そのコーチはよく言います。「初級段階を終えたみなさんは、中級なので次の段階に入っていくべきです」と。
初級の段階では、教え方の鉄則があります。それはスモールステップと即時フィードバックです。これは何を教えるのでも変わらないルールです。初級段階では、できるだけハードルを下げて、つまづきをなくすこと。そして、練習をたくさんさせて、フィードバックすることによって、良い行動の頻度を上げていくことです。
こうして初級段階では、基本的な行動パターンを確実に身につけることが目標となります。たくさん練習をして即時フィードバックすることによって、スキルを身につけ、ほぼ自動的に体が動くようにするのです。自動的にというのは考えなくても、その行動ができるということです。
いちいち考えなくても自動的に動くようになっている人は、あらゆる点で効率が良くなります。これはテニスに限りません。こちらが何か話を始めたら、すぐに集中し、ノートを取る態勢になっている人は、その行動が自動化されているからこそ美しく効率的なのです。
さて、初級段階を終えたとき、何か教え方を変えるべきでしょうか。
変えるべきです。そうでないと、いつまでも相手は「自分は初級段階にいる」ということに安住してしまうからです。それは楽で安心できる状況かもしれませんが、飛躍的に上達するということは望めません。いつまでも初級のままです。もちろん本人がそれがいいというならそのままでいいのですが。
中級の段階では、チャレンジさせることが中心課題です。そのためにはコーチは手加減しないことが必要になってきます。つまり初級段階ではスモールステップによって、手加減されたボール、コントロールされたボールを打っていたのです。しかし中級では、本番の試合に即したボールを打つ必要が出てきます。したがってそこでは手加減しないボールを見せることが必要なのです。
なぜなら試合では手加減したボールはなにひとつないからです。
初級・中級のモデルをいろいろな領域に当てはめてみることは面白いかもしれません。高等教育でいうと、学部(学士課程)までは初級、修士課程は中級、博士課程は上級なんてね。これはまた話題として取り上げるかもしれません。
04 Nothing Ballを出さない。美しく意味のあるラリーの始まり。
過去3回はテニスコーチの教え方について取り上げてきました。楽しくなってきたので、今回もテニスの例をとって話題を広げていきましょう。これはテニスに限らず「あらゆることの教える場面」で活用できるし、インスピレーションを与えてくれると思います。
今回は「Nothing Ballを出さない」ということを書きたいと思います。
Nothing Ballというのは、「なんでもない球、何の気なしの球」というニュアンスになると思います。検索してみると、野球を始めとした球技で使われている用語です。具体的には、「スピードもなく、回転もかかっていない球」のことです。
なんの意図もなく、スピードも回転もない球を相手に与えれば、それは相手にとって攻撃のチャンスボールとなります。ですからそういう球を打ってはいけないということです。それは直接負けにつながります。また、Nothing Ballを打っている限り、ただ返すだけのテニスになってしまい進歩も上達もないでしょう。
スピードの速い球を打てば、相手はひるむでしょう。あるいは球速は遅くても回転がかかった球を打てば、相手は返しにくくなるでしょう。また、ロブを打って、相手の頭上を抜けば、相手の陣形を崩すことができるでしょう。あるいはコースを狙えば、相手の逆をつくことができるでしょう。このようになんらかの意図を込めて球を打つのです。そうするとNothing Ballは無くなります。
もちろんこのように意図を込めて打つことは自分がミスをするというリスクを伴います。ミスのリスクを込みにしてもNothing Ballを打たないようにすることです。毎回のラリーでなんらかの意図を込めて打つことです。そうするとラリーに意味とストーリーが出てくるのです。それがテニスをやっていて一番楽しく美しい瞬間なのです。
これはテニスだけの話ではありません。相手に何かを提示したり、提案したり、提出したりするときは、Nothing Ballを渡してはいけません。スピードを加えるか、回転を加えるか、あるいは他の何かの特徴を加えることです。あなたの意図に気づいた相手は、次の球になんらかの意図を込めてくるでしょう。それが美しく意味のあるラリーの始まりです。
05 ラケットを道具にすること。道具と一体化すること。
今回は「ラケットを道具にすること」ということを書きたいと思います。
「ラケットはボールを打つ道具だよ。当たり前のことだ」という人がいるかもしれません。その通り、ラケットはボールを打つ道具です。ボールを打たなければ単なる「荷物」です。ラケットはけっこう重いので、それを持って走るのは大変です。ラケットを「荷物」ではなく「道具」として使う方法を学ぶことが、つまりテニスに上達するということです。
いや、ボールを打っている時点でラケットは道具になっているんじゃないですか、と反論する人もいるでしょう。その通りなのですが、ラケットを上手に使えていなければ、ボールをうまく打つことはできません。ラケットを振っていても、それが体の動きに合っていなければ、うまく道具として使えていないということです。ラケットを上手に使えていないということは、道具としてのラケットと荷物としてのラケットが半々に入っているということです。
上手い人がボールを打っているところを観察すると、スムーズに楽々と打っています。ラケットと体の動きが一体化しています。体の延長がラケットになっているので、ラケットはもはや荷物ではありません。体の一部になっているのです。ラケットの使い方に習熟するということは、ラケットと自分の体を一体化させるような、体の動きとラケットの振り方をマスターするということです。そこには無理がありません。
これはあらゆる「道具」について言えることなのではないかと思います。たとえば、研究について学ぶとき、最初に研究方法を学びます。インタビューの仕方とか、アンケートの作り方とか、データ分析の仕方などです。こうしたことは研究の道具の使い方を学んでいるのです。最初は、なんでこういうふうにするのかわからないままに型通りの方法を学んでいきます。しかし、その段階では、その方法は「荷物」です。方法を道具として使いこなすまでにはいっていない。逆に、道具に使われています。
しかし、だんだんと習熟していくにつれて、その研究方法が自分のものになっていきます。自分が関心を持った研究課題を解明する方法として、その道具が自分と一体化してくるのです。そのとき、研究方法を自分の道具としてスムーズに使えるようになるのです。
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