
ナチュラル
〔ひとり散歩〕を最初に見たのは夜だった。
仕事で遅くなった帰り道を急いでいると、2ブロック先の道路を右から左へ犬が通って行った。街灯に照らされた白毛の中型犬。
あれ?飼い主の姿がない。
え?ひとりで散歩してるの?脱走したの?
リードや首輪が付いてたかは遠くて分からなかった。
心配になって2ブロック先の道路まで行ってみたけど、一軒家やアパートが建ち並ぶ住宅街のどこにも白い犬は見つけられなかった。
そんな事があったのも忘れかけていた頃に、再び〔ひとり散歩〕を見た。今度は昼間に。
馬で言うところの並足の速度だろうか。軽快な足取りで真っ直ぐこちらへ進んできていた。
わたしとすれ違う時、一度だけこちらを向いた。とても明るい目をしていた。
すれ違った後も歩を緩めず直進する〔ひとり散歩〕。
首輪はしてるけどリードは付いてない。
不思議な犬だなぁと思いながら揺れる尻尾を見送った。
大雪が降った朝、駅へ向かう歩道はまだ除雪されておらず、仕事へ急ぐ人々が歩いた足跡が獣道みたいになっている雪道を歩いていた。
5メートルくらい前を歩いていたOLさんらしい女性が立ち止まったかと思うとクルッとUターンして早足でこちらへ歩いてきた。
「すみません。犬が苦手で…」
と、わたしの後ろに隠れた。
犬?
前から〔ひとり散歩〕がこちらへ向かって進んできていた。鼻先で積もった雪をラッセルしながら。
こちらを見向きもせずにラッセルしたまま通り過ぎて行った。
夜になって2階の部屋のカーテンを閉め忘れていることに気付いて2階へ。この東側の窓からは、お向かいさんが外飼いしているチロちゃんの犬小屋が見える。赤い屋根の犬小屋の中でもう寝てるねきっと、と思いながらカーテンを閉めようとした時、〔ひとり散歩〕が現れた。
〔ひとり散歩〕はいつもの軽快な足取りのまま、何の躊躇もなくチロちゃんの犬小屋の入り口に頭を突っ込んだ。
喧嘩になっちゃう!
と思う間もなく、〔ひとり散歩〕が犬小屋から頭を引いたのに誘導されたかのようにチロちゃんが犬小屋から出て来た。
二匹は顔を付き合わせたりして仲良くしている。挨拶しているように見えた。
挨拶が済むと〔ひとり散歩〕はいつもの並足で夜の道を進んで行ってしまった。
実家へ寄った時の事。
庭と家の間を白毛の犬が通り抜けていくのが窓の外に見えた。
え?
急いで外に出てみると見覚えのある犬。間違いない。〔ひとり散歩〕だった。
〔ひとり散歩〕は家の裏手へ進み、お隣の家の脇を通り抜け、さらにお隣の畑へと走って行ってしまった。
母が言うには、あの犬は一週間くらい前から見かけるようになった、首輪をしてるから近所の飼い犬が脱走したんだと思ってたけど、と。
自宅から実家までは車で15分くらいの距離。犬が移動できない距離ではないけれど、ここで見かけるなんて本当に不思議。
これを最後に〔ひとり散歩〕を見かけることはなくなった。
〔ひとり散歩〕のお話はこれでおしまい。
なにか特別な出来事が起こったわけではなく、そういう犬がいた。そういう出会いだった。
飼い犬だったのか迷い犬だったのか、はたまた横着な飼い主が利口な犬だったのをいいことに、ひとりで散歩行っておいでーとやっちゃってたのか?
〔ひとり散歩〕の白毛はいつも綺麗な毛並みだったし、痩せてもいなかった。
歩くでもなく疾走するでもなく、一定の並足で軽快に走っていた。落ち着いた明るい目をしていた不思議な犬。
もしもいつかどこかで会うことがあったら
「夜の道を走るって気持ちいいよね」
と心の中で声をかけるよ。