himawari /Mr.Children
ミスチルのhimawariを聴きました。
今回はこちらの曲の考察。
こちらの曲、私的に重点的に気になるのはMVなんですよね〜。
そうそう、「君の膵臓を食べたい」という映画のテーマ曲でもあります。
では、考察。
この時、MVではハットを被った男性と思しき人物が、病院と思しき場所に花束を持って女性に会いに行きます。
この女性は、体が悪いのか、はたまた精神が悪いのか、とにかくベットに横たわりトゲトゲしています。ここから、主人公たちの対話が始まります。
体が悪い時、精神が悪い時、人は何かを助けてもらった時に「ありがとう」「さようなら」を言いたくなりがちです。
全部嘘だよ、(→病気なことが)って言いたくなるけど,
どうやら主人公たちは違うようです、言えない。嘘と言いたい。期待はしているけれど。
運命とは時として残酷なものだと思います。なぜか体が悪くても、精神が蝕まれようとも、真っ直ぐに明日へ漕ぎ出す君がいる。それはまるで暗がりで咲いているひまわりのような君が。そんな君に僕は温かく恋をしていました。
僕は美しく生きる君を知ってしまった。後戻りはできない。
だけど、怖いもの見たさで愛に彷徨う自分もいる。
知ってしまた今、他の選択肢があったのか疑問に思うほどです。
カッコつけたり、はにかんだりする、そんな僕がいたのでしょうか。
ここで自分語りはいるんですけど、健常者と障害者の間のグレーゾーン自分なんかは、ここの歌詞めちゃくちゃ共感できますね。
例えば日常の些細な諦める、妥協する、もっと具体例で言うと、会社で我慢して働く、などなど。
この歌詞(諦めること〜)はどちらの立場、健常者、非健常者からでも取れると思うのです。
病気だろうと、夢や希望を追って、ポジティブに明日を追う君を見て、僕は苦しくなります。そして比べてしまったのではないのでしょうか。諦めること〜の下、曲調も変わりここはグッと来ませんか。
「嵐がさった後」の陽だまり。
嵐がさった後、悲しいかな、もしかしたらここで女性の主人公は死んでしまいます。
でも、やっぱりそんな君に恋していました。
最後
そんな君〜を、「恋しています」なのか「愛しています」なのか。
以前こんな言葉を見聞きしたことがあって、
私はどちらでも取れると思います。
この主人公が女性を好いていたことは事実で。
そしてひまわりの花言葉は「あなただけを見つめる」「淡い恋愛」なんですよね。
人間と植物はわかりあうことはできないかもしれません。
例えとして適切であるかはわかりませんが、それは男女でも同じかもしれないしそうでないかもしれない。
だから、私はジャケ写真を、男性とひまわりが手を取っている写真にしました。
いかがでしたでしょうか。
Mr.Childrenさんは名曲が多く今後も記事にしていきたい所存。
ありがとうございました。