お世話され上手への道
迷惑をかけずに生きられるのか?
と話される方が一定の割合でおられます。私はこのお話を聞く時、先々のことをご心配されているのだと思う一方で少しひっっかるものがあります。
ひっかかるのは「迷惑」という言葉。
迷惑とは「人の手をわずらわせる」という意味ですが、果たして私たちは人の手をわずらわせずに生きていけるのかと思うのです。
考えてみると私たちは生まれたときから、すでに誰かのお世話になっています。父母に育てられ、学校では先生にお世話になり、友人たちに支えられた時もあったでしょう。また客として店に行けば店員さんにお世話になっていますし、住んでいる家は大工さんがいなければ建つことはなかったでしょう。
人として生きていく中で、今も多くの方に支えられています。これは迷惑をかけてしか生きていけない私たちのありようといえるかもしれません。ですから、迷惑をかけるのは当たり前のことなのです (開き直ると話が違ってくるので注意ですよ) 。
もちろん「迷惑をかけてごめんね」という言葉の中にある申し訳なさはよく分かります。
ですが、「迷惑かけるね、ありがとう」と感謝の言葉をかけていくほうがお互いにやわらかな気持ちになるのではないかなと考えます。
おかげさまの中に生かされる
「ありがとう」とお互いに言い合う関わりのことを「おかげさま」と言います。
たとえば「おかげさまで成り立っております」「おかげさまで、元気にしております」などの使い方のように現代では一種のあいさつのようになってはいますが、「おかげさま」と声をかけていくことで、私たちはお互いに関係しあっていることを確認できるのだと思います。
コロナ禍の中。人と顔を合わせる機会が激減しましたが、数年たった今、だんだんと様々な規制が解除され人々と顔を合わせていく機会が増えてきました。
その経験の中で「人と会う」ことは改めて大事だなと思いましたし、「人と話す」ことが楽しいものだと再認識しました。
やはり私は人があってこそ。ひとりで生きているのではなく、おかげさまの中に生かされているなぁと感じました。
阿弥陀様のねがい
おかげさまを味わう中で忘れてならないのは、私たちは今、阿弥陀様の願いの中に生かされているということです。
私は自分の力ではけっして解決できないものを抱え「迷って惑 (まど) う」存在です。だからこそ阿弥陀様は私を救いたい、私を必ず仏にさせると今はたらいてくださっています。
一方で私たちは普段の生活でいっぱいいっぱい。
忙しいと阿弥陀様のことを忘れ、楽しいことにしか興味が向きませんが、阿弥陀様はそっぽを向かず、常に私のことをご心配くださっています。
そういう意味から言えば私は阿弥陀様に迷惑をかけっぱなしなのかもしれません。
ですから、この大事な「阿弥陀様のおかげさま」を忘れずに手を合わせて感謝のお念仏を申したいと思うことであります。
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