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無いものを求めるよりも有るものに感謝

4月

アメのつかみ取り

色んなストレスが降りかかってくる日々のなかで、なるべく心を落ち着かせて、心豊かに過ごしたいと思い悩むことはありませんか?

思い通りにいかない問題の解決方法をネットや雑誌で探すこともあるでしょうし、新聞等の人生相談欄を見て参考にすることもあるかもしれません。

とはいえ、見聞きしたことを試してみても、なかなか思うようにいかず、一日が終わったころには、ドッと疲れに襲われる毎日ですが、そんな私たちに仏さまはどんな言葉をかけて下さるのでしょうか。

コロナ禍になる前の娘が通う幼稚園での出来事です。

お釈迦様のお誕生をお祝いする花まつりという行事の中で、手作りの縁日が開かれ、子どもたちは笑顔いっぱいでヨーヨーやポン菓子などで盛り上がっています。

様々な催しの一つにアメのつかみ取りがありました。小さな可愛い手で沢山アメをつかんで箱から手を出そうとしますが小さな取口からなかなか抜けずに、とうとう手につかんだアメを少し減らして手を抜く子どもたちの淋しそうな姿を、周囲の大人たちは微笑ましく見ていました。

必死になって手を抜こうとする姿を見て、手につかみ過ぎたら穴から手は抜けないよって分かっているから大人たちは笑っていたのですが、私は色んなものを力一杯つかんで手放さない姿は私自身も一緒かもしれないと思ったのです。

合掌の姿

人の事はよくわかるのに自分の事となると…。

妻からお腹出たねって言われ続けても「昔は板チョコみたいな腹筋だった」と思い出すだけで何もせずにあっという間に10年が過ぎてしまいました。

高校に空手の練習に参加しても体験談が自慢話になっていることに気付きもせずに、動けて活躍していた過去の栄光ばかりをつかんで離さずにいる自分がいました。

私たちは仏さまを拝むとき手を合わせて合掌をします。この姿は人間のおこなう姿で一番尊く美しい姿といわれています。

手を開き手の皺と皺を合わせます。皺が合う (しあわせ) 。反対に、手を握って拳を作って合掌しても皺が合わない (ふしあわせ) 。

拳を握り占めて掴んで離さない姿は、あれがほしい。これがほしい。と欲張り。あの時はよかった。あの時の方がましだったと、過去の自分と比べ、あの人は嫌い。この人は好きだとか、損か得かで人や物事を判断し、自分中心の心を捨てることがなかなかできない私の本当の姿です。

仏さまはそんな私の本当の姿 (手を握り掴みっぱなしの拳) をすでにご存じで、その私を否定することなくそのまま照らしてくださいます。

「合掌」と「拾う」という字が似ていることに気がつきました。「合掌」は「掌」を「合」わすと書く。「拾」は「手」偏に「合」うと書く。

「地位や名誉や過去の栄光に捉われ、自分中心の心を拾うのではないよ。あなたのいのちは、目には見えないたくさんの繋がりの中で生かされているのだよ。お陰様の心をどうぞ拾って毎日を一歩一歩ゆっくりでもいいから歩んでいってね」という仏さまからのメッセージが合掌には込められているのかもしれません。

4月

「良いな」と思ったら、掲示板の写真を撮って、ハッシュタグをつけてSNSでシェア!友人・知人にもあたたかな言葉のおすそ分け。

#お寺の掲示板
#こうげそ

上毛組 (こうげそ) お寺の掲示板とは…

福岡県豊前市・上毛町・吉富町にある18のお寺でつくる浄土真宗本願寺派 (西本願寺) のグループ「上毛組」が、20年以上に渡って毎年制作している伝道ポスターです。仏教の教えや、仏さまのお心が伝わることを目指しています。

このコラムを書いたお坊さんは…

福田 浄円 (正圓寺 副住職) さん
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