他人の評価を気にしない
周囲の評価に縛られる
田植えが終わり、これからの時期は夜になるとカエルの大合唱が聞こえてきます。
小学3年の娘と学校帰りに田んぼ道を歩いている時に、「オタマジャクシって何か気持ち悪いなぁ。意味あるんかなぁ!?」って話してきました。
「すごい言い方するなぁ。意味があるもないも、オタマジャクシがカエルになるんやから、絶対意味あると思うけどなぁ。なんでそんなこと聞いたん?」と私が尋ねると、「だって、私に関係ないもん」って娘。オタマジャクシを無言で見つめる父と娘。
最後に私は娘にこう話しました。「あんたにとってオタマジャクシは関係なくて、役には立たないかもしれんけど、オタマジャクシも同じようにあんたはあんた、私は私って思ってるんと違う!見てみ。気持ち良さそうに泳いでるやん!」
人は誰かの役に立ってこそ生きてる意味がある、人生に価値がある。それはとても素晴らしくて輝かしい姿です。テレビに映る有名人の華々しい人生はきっと誰かの生きる力となり支えになる事でしょう。 私もそんな人生を歩めたら…と。
いつの間にか周りを気にしすぎるあまり、私たちの社会の価値基準は役に立つか役に立たないかで、その人の価値、もっと言えば「いのち」の価値を決めようとしてしまっています。
あきらかになる私の姿
他者の評価によって自分の価値を決めてしまっている。それは他でもない、私自身が実は周りを気にしてばかりでした。
最近、妻から「携帯見る時間が増えたんと違う!」と言われました。「そんなことないやろ!」と言いましたが、実は確実に増えていました。
空手道場とお寺と個人的な投稿をSNSでし始めた途端に、いいねの数やコメントを気にして、どんな反応があるかなぁ。みんなはどんな投稿をしているかなぁ。と周りの評価ばかりを気にして、誰かの役に立ってたらいいなぁってそんなことまで思っていた自分にハッとしました。
私は役に立つか、立たないか。気に入られたい、よく見られたい。他人の評価ばかりを気にしてしまい、いいねが少ないとへこんで落ち込んでしまう私。
自分で自分を弱らせている私に、それをやめろとはおっしゃらずに、座っちゃおれんのよ!と立ち上がられ願われ、そんなあんたをそのまま、必ず救うと届いてくださっています。
私たちを案じてくださる阿弥陀さまのお国、「お浄土」は、この世の一切の価値基準に縛られることのない、真の開かれた世界です。
十人十色と言いますが、全ての「いのち」は、それぞれ他と違う自分の色を持っています。
『仏説阿弥陀経』というお経には
というお言葉で解きあかしてくださっています。
「それぞれがそれぞれのいのちの色を光らせる世界に出遇い、自らの「いのち」を輝かせて生きていってね」と阿弥陀さまは願われています。
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